サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
メジャーエンブレム
【2016年 クイーンカップ】早春のターフに刻んだ誇り高きエンブレ
アスクビクターモアによる菊花賞をはじめ、通算14勝のJRA重賞を成し遂げ、関係者より厚い信頼を集める田村康仁調教師。ベテランの域に達しても、馬づくりへの意欲はますます燃え盛っている。
「獣医や装蹄師など、かかわる人が何重もチェックするのはもちろん、大切な馬たちとは深く向き合いたい。だから、分業のかたちを採らず、担当者が付きっ切りで些細な前兆も見逃さない体制を敷いています。いつか大きなチャンスが巡ってくると信じていましたし、それを逃さないためにも、できる限りの努力をしていかないと」
チームに初となるG1の栄光をもたらしたのがメジャーエンブレム。敏腕トレーナーは、こう若駒時代を振り返る。
「硬い歩様にもかかわらず、母のキャッチータイトル(その父オペラハウス)はタフにがんばりました。その仔がまた戻ってくるだけでうれしかったうえ、1歳に出会った当初でも筋肉や骨量が豊富。それでいて武骨な感じがなく、きれいなラインです。まっすぐ育ち、ノーザンファーム空港では『桁違いに動く』との評価を受けていましたからね。胸のときめきは高まる一方でした」
5勝をマークした母だけでなく、全兄にあたるメジャープレゼンス(3勝)、メジャーステップ(3勝)も田村厩舎で走った。配された父は、大舞台に強く、カレンブラックヒル、コパノリチャード、メジャーエンブレム、レーヌミノル、アドマイヤマーズ、レシステンシア、セリフォス、アスコリピチェーノら、続々とG1ウイナーを誕生させているダイワメジャーである。
「2歳の4月末には美浦へ。改めて優秀な身体能力に目を丸くしましたよ。重くて走りづらい坂路を馬なりで加速。息も乱れないんです。この血統らしく主張が激しい部分を秘めているはずでも、調教で反抗して止まったりしたプレゼンスや、曳き運動で暴れないように跨ってパドックへと向ったステップのデビュー当時とは違い、性格だって大人びています。母や兄たちは長めの距離をこなせますので、オークス向きなのかとも想像し、初戦は1800mを選択したとはいえ、走るのに前向きですしね。幅広い条件に対応できるセンスの良さを見込んでいました」
6月の東京でターフに初登場。好位からノーステッキで抜け出した。
「クリストフ(ルメール騎手)は騎座で抑え、ゴールまで遊ばせないように配慮。将来につながる貴重な経験を積めましたよ。以降はNF天栄とのスムーズな連携のおかけで、この馬向きの『ルーティン』が確立。一戦ごとにリフレッシュを挟みながら、無理のないローテーションを組めました」
アスター賞も2馬身半差の完勝。アルテミスSは2着に敗れたものの、大外枠から先頭に押し出される苦しい展開だった。行きたがる誤算があったなか、わずかクビ差に粘った。
絶好のスタートを決めた阪神JF。競りかけられても2番手でリズムを崩さずに追走した。余力たっぷりに直線に向き、楽々と2馬身差を付ける。晴れて2歳女王に輝いた。
「中間は我慢を教えることに心を砕きましたね。追い切りのパターンも替え、坂路で乗って落ち着かせた後、ウッドコースへ入るように。賢い馬だけに、こちらの意図をしっかり感じ取ってくれました。前走を踏まえ、ジョッキーやスタッフも留意。ふわっと返し馬ができ、輪乗りでもリラックスしていましたよ」
クイーンCでは自ら主導権を握り、危なげない逃げ切り。驚異のレースレコード(1分32秒5)を叩き出し、後続に5馬身の差を広げた。
「阪神JFもいいかたちで勝ち切れましたが、G1仕様にしっかり仕上げた成果です。間隔を空けて使いたかったので、このローテーションを選択。桜花賞へのステップだけに、さらっと態勢を整えたのに、集中力、反応の良さとも前回とは違いました。これ以上、何を望めばいいのかという感じ。時計にも驚きましたね」
ところが、桜花賞(4着)で単勝1・5倍の断然人気を裏切ってしまう。早めに進出して押し切るかたちを想定していたが、包まれて動きづらいポジション。リズムに乗れず、決め手比べに屈した。
「あれで十分と見込んでいたとはいえ、関西への輸送があっても、プラス4キロの体重。次の大目標へは、結果が出ているときの体に絞りました。完璧なコンディションで臨めたと思います」
鬱憤を晴らしたのがNHKマイルC。ハナに立ってリラックスでき、直線半ばに差しかかると、力強い脚色で引き離す。末脚自慢の牡馬たちが迫ってきても、最後まで寄せ付けなかった。堂々と3歳マイルチャンピオンに君臨する。
「真っ向勝負のかたちに持ち込め、あのハイラップでも止まらない自信がありましたよ。すべてがバランス良くトップレベルにあり、完成度は頭2つぶんくらいリードしている実感がありましたから。責任を果たせ、ほっとしましたよ。馴染みの血で念願がかない、この上ない喜びを味わえました」
以降はトモの筋肉痛や蹄のトラブルに見舞われ、結局、現役続行を断念。わずか7戦のみで繁殖入りすることとなった。早すぎるリタイアだっただけに、田村調教師の無念さは想像に難くない。
それでも、また次の世代に夢をつなげられるのが競馬の醍醐味である。母仔3代にわたるドラマは、未来へ向けて華やかに展開していく。