サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

メイショウカイドウ

【2005年 小倉記念】真夏に輝きを増す小倉の王者

 デビュー前から迫力ある動きに定評があり、3歳1月に迎えた新馬(京都のダート1800mを3着)では単勝1・4倍の断然人気に推されたメイショウカイドウ。父はタフに長く活躍することで知られるスキャンであり、砂適性も高い。母キンセングローリー(その父ヒッタイトグローリー)も坂口正大厩舎で走り、ダートで4勝をマークしている。

 だが、砂路線での6戦に続き、芝1200mで3戦を消化したものの、善戦しながら勝ち切れなかった。7月に小倉の芝1800mを楽々と逃げ切り、待望の初勝利。後続に9馬身もの差を付ける圧倒的なパフォーマンスだった。

 国東特別(3着)は出遅れがすべて。ここでリフレッシュを挟み、4歳2月のうぐいす特別(笠松主催の地方交流)で2勝目をつかんだとはいえ、当時は気性の難しさが目立ち、ラストまで集中できないのが課題だった。

 再度の休養を経て、小倉で再出発。同場への適性の高さとともに、夏に強い特徴を発揮し、日田特別、玄海特別、博多Sと一気に3連勝を飾る。以降の6戦は準オープンで上位を賑わし、湘南Sを順当勝ち。レース運びもぐっと安定した。初の重賞挑戦となった北九州記念はハナ差の惜敗だった。

 小倉記念ではトップハンデ(56・5キロ)を課せられたが、ますます心身が充実。単勝1・7倍の断然人気に推された。中団で脚をため、3コーナーから外を回って進出。息の入らないペースを難なく跳ね除け、豪快に突き抜けた。

 会心のパフォーマンスに、武豊騎手はこう胸を張った。
「小倉はぴったり。これまでより落ち着きを増し、道中もリズム良く運べたね。当たりの強いDハミに替えていても、追ってもたれてしまったが、逃げたメイショウバトラー(1馬身差)が外目へ行き、開いたインにうまく潜り込めた。荒れた馬場も苦にせず、最後まで集中。しっかり伸びたよ」

 他場では期待に反するケースが多かったとはいえ、斤量増(57・5キロ)も跳ね返し、小倉大賞典に勝利。北九州記念も2馬身差の快勝だった。6歳時の小倉記念での強さも忘れられない。58・5キロを背負ったこともあり、いつもより後ろ目の位置取りとなったが、大外からきっちりと差し切る。レース中に右後肢を落鉄していたのにもかかわらず、タイムは1分58秒0のレコードだった。武ジョッキーの声も弾む。

「馬場のいいところを走らせるのが大きなテーマだったが、スタートした直後に外目へ持ち出せた。道中でも折り合いが付き、こうなればいいとイメージしていた通り。それにしても、予想よりはるかに速いタイム。負担重量など心配材料もあったけど、強いの一言だね。人気に応えられ、ほっとした。馬に感謝するしかない」

 毎日王冠(14着)、天皇賞・秋(18着)と歩み、小倉大賞典(3着)で巻き返し。さらに中8日で佐賀記念(5着)にも参戦する。7歳になっても、気温の上昇とともに調子を上げた。七夕賞へと向かい、5つ目のタイトルを奪取する。坂口調教師も、感動を隠そうとしなかった。

「目先の一戦一戦に全力投球。ここも叩き台なんて考えはいなかったですよ。ただ、やはりハンデ(59キロ)が気がかりでした。3コーナーから追っつけ通しでしたからね。これは追い付かないだろうと想像していたのに。まったく力は衰えていない。さすが〝夏男〟です」

 3連覇を狙った小倉記念だったが、6着に敗れる。あえて1年間、力を蓄え、8歳時も同レースに挑んだものの、折り合いを欠いて11着。朝日チャレンジC(10着)を最後に引退することとなった。

 全11勝のうち、8勝を小倉で挙げたメイショウカイドウ。同競馬場で誘導馬となり、多くのファンに親しまれた。さらに競走馬リハビリテーションセンターで訓練用の乗馬として活躍。現在は滋賀県の牧場で静かに余生を送っている。いつまでも元気でと願わずにいられない。