サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ナリタクリスタル

【2011年 中京記念】磨くほどに煌めく魅惑の黒水晶

 3歳1月、京都の芝1600m(クビ差の2着)でデビューしたナリタクリスタル。以降もマイルで2着、3着、2着と惜敗を重ねたものの、中京の芝2000mを順当に勝ち上がった。木原一良調教師は、出会った当時より非凡な素質を感じ取っていたという。

「セレクトセール(06年当歳、落札価格は3350万円)で初めて見たとき、よくまとまった馬体に惹かれました。しかも、身のこなしが伸びやか。血統面(父スペシャルウィーク、母はペンタイア産駒で1勝のみのプレシャスラバーだが、祖母のカウンテスステフィが重賞2勝を含む米12勝)からも、豊富な成長力を見込んでいましたよ。ノーザンファーム空港で育成され、2歳の6月には栗東へ。ところが、出走を間近にして軽度の骨折があって、宮崎保養センターで立て直すことになったんです。そんなアクシデントを乗り越え、さらに変身。淋しく映ったトモにも筋肉が備わった。調教は本当に素直で仕上げやすいですしね」

 500万下を卒業(中京の芝1800m)するのにも3戦を要したとはいえ、ここまで馬券圏内を外していない。エーデルワイスS(コンマ1秒差の4着)に関しても、直線で進路をふさがれ、脚を余したものである。

「コンスタントに使っても反動はなく、その都度、安定した状態で送り出せましたが、レースでは全力を尽くしていない雰囲気がありあり。人の気持ちをもて遊ぶようなところがあって、早めに先頭に立ったらソラを使いますし、無理に引っ張ったら集中力が途切れてしまう。一杯に見せたときでも、実はまだ余力を残しているんですよ」

 休養直後のセントライト記念こそ11着に敗れたものの、それ以降も決して大崩れせず、北野特別、逆瀬川Sと順当に勝利する。小倉大賞典(2着)、スタートで躓いた中京記念(6着)と、重賞でも通用する実力を示した。

 4歳夏に釜山Sを勝利し、再び重賞戦線へ。仕掛けても瞬時に反応できない弱みに泣き、小倉記念は4着に終わる。しかし、左回りとは相性が良く、新潟記念では持ち味がフルに発揮される。念願のタイトルに手が届いたうえ、サマー2000シリーズのチャンピオンに輝いた。

「クビ差の接戦だったとはいえ、強い内容です。エンジンのかかりが遅い特徴を考えれば、長い直線の新潟コースもむしろ好都合。スムーズに3番手へ付けていけたのが良かったですね。直線で早めに抜け出し、やめようとする素振りも見せたのですが、両サイドから来られたことで、最後まで息長い脚を使えました」

 5歳初戦の中山金杯を僅差の3着し、中京記念では2つ目の勲章を奪取。生涯でベストといえるパフォーマンスだった。先行集団を見ながら早めに押し上げ、直線は馬場の良い外へ。一気に2馬身半も差を広げる。

「ずいぶん、もどかしさを重ねてきましたので、ようやく噛み合った思い。喜びは格別でした。渋った馬場(稍重)は得意です。でも、続く金鯱賞(13着)は不良馬場を嫌がり、また悪癖を出してしまった。肉体的な疲れなど感じられませんでしたが、いったん放牧を挟んで精神面をリセットしたのが功を奏しましたよ。暑さに対応できるよう、行き先は北海道ではなく宮崎。夏場も順調に調整でき、またひと皮むけた実感がありましたね」

 小倉記念は後方でスムーズさを欠き、6着止まりだったが、みごとに新潟記念を連覇する。スローの2番手をキープすると、気を抜かせないようにタイミングを計りながら、余裕たっぷりに先頭へ。前年と同様、着差はわずかでも、危なげない勝利だった。

 毎日王冠(7着)や天皇賞・秋(7着)でも差のない走りを披露。しかし、以降はなかなか前向きな姿勢を取り戻せなかった。繋靭帯の炎症にも行く手を阻まれる。6歳夏にも小倉記念(3着)で意地を見せたものの、再びトップに立つことはできなかった。新潟大賞典(10着)がラストラン。新潟競馬場で誘導馬となった。2022年には功労馬となり、静かに余生を送っている。

「初めて重賞のタイトルをプレゼントしてくれた大切な一頭。それ以上に思い入れは深く、いろいろなことを学びましたよ。もっと走れたのではないかとの無念さも残りますが、いまとなれば試行錯誤した日々が懐かしい。ほんと愛すべきキャラクターでした」