サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ナムラタイタン

【2011年 武蔵野ステークス】驚きの変貌を遂げた内気な巨星

 2歳秋に栗東トレセンへ移動しながら、ソエや骨瘤に悩まされたナムラタイタン。放牧を挟んで成長を促し、ようやくデビューにこぎつけたのは、翌年5月、京都の未勝利(ダート1400m)だった。調教タイムも平凡。単勝は70・2倍の10番人気に甘んじていた。大橋勇樹調教師は、こう衝撃的な初勝利を振り返る。

「出負けしたたうえ、砂を被って嫌がる幼さを見せたのに、あっさりと抜け出して4馬身差の快勝。実戦で変わるタイプもいるものだが、この馬の場合、あまりに極端だった。目を疑うしかなかったよ」

 父はエンドスウィープの後継で、JBCスプリントなど重賞を8勝したサウスヴィグラス。ラブミーチャン(全日本2歳優駿)、コーリンベリー(JBCスプリント)をはじめ、ダート界に強豪を量産している。

「巡り合わせは不思議。サウスヴィグラスの仔で初のJRA勝ちを収めたドキャーレ(3勝、地方1勝)もかつての管理馬でね。こんな地味な母系でも、活躍したら競馬は盛り上がる。良血を負かすのは、こちらも気持ちがいいし、喜びが倍増するもの」

 母ネクストタイム(不出走)も快速系のアフリートの産駒。地方での勝ち上がりが多いファミリーながら、同馬の半兄にタマモディスタイム(4勝)。半妹にあたるナムラジュエル(3勝、地方1勝)も、大橋調教師のもとで走った馴染みの血である。

「当歳で見たときは、目立ったところがなく、頼りない印象。兄のナムラスピード(父サクラバクシンオー、4勝、地方1勝)も手がけたけど、はるかに小さかった。予想に反してぐんぐん育ち、500キロ以上になったとはいえ、勝ち気な性格だった兄とは違い、のんびり屋で自ら走ろうとしない。ディアレストクラブでの育成時も機敏さは伝わってこなかったし、なんといっても体質が弱かった」

 初戦で左後肢の蹄骨に軽度の骨折を発症し、その後は7か月間のブランク。12月の阪神(ダート1400m)で再スタートする。

「まだまだ子供でやる気なし。体もぼてっとした感じで、相変わらず垢抜けない。とても自信はなかったなぁ」
 という状況にもかかわらず、休み明けの不利も、昇級の壁もあっさり突破する。続く京都(ダート1400m)を2馬身差で連勝。そして、羅生門Sでは無傷の4連勝を飾り、あっという間にオープン馬となった。

「とぼけた感じに反し、うれしい驚きの連続。それでも、並みの馬でないことがはっきりしたよ。成長の余地をかなり残しているのも明らかだった。パドックでは引き手を噛んで甘えるし、返し馬で一頭になると寂しがって、鳴きながら他馬を追いかけていく。いかにも粗削りで、集中して走っていないように見受けられたからね」

 快進撃は止まらない。コーラルSで3馬身半の差を広げ、欅Sも危なげない勝利。初めて重賞に挑んだプロキオンSは3着に食い下がっている。ところが、大切に使われたなかでも、徐々に歩様が硬めに。すっと流れに乗れず、霜月S(4着)以降の6戦はあと一歩で勝利に届かなかった。5歳時のオアシスSで、久々にトップに躍り出る。マイルは初体験だったが、スムーズに脚をためられた。

「レースに慣れたことで、しばらくはズルい面に泣かされた。でも、この条件は合うと見たんだ。狂ったリズムを修正できたし、いいころの前向きさも戻ってきた」

 プロキオンS(6着)後にリフレッシュ。ペルセウスS(4着)では好位からしっかり伸びたうえ、使われた上積みも大きかった。最適の舞台と見込む武蔵野Sに臨む。

 課題のゲートも決まり、大外枠から好位をキープ。終始、手応えは楽だった。人気馬を目がけて追い出されると、熾烈な叩き合いを力強く制し、半馬身のリードを保ってゴールを駆け抜けた。

「4番人気(単勝13・3倍)だったとはいえ、重賞に勝つのが遅すぎたくらい。ようやく理想的な走りができた。目標を達成でき、ほっとしたよ」

 結局、これがJRAで唯一の勲章となったが、翌春もオアシスSに優勝。東京大賞典(4着)、東海S(2着)、平安S(3着)、佐賀記念(3着)など、年齢を重ねても衰えを感じさせなかった。

 地方・岩手に移籍後も12勝を積み重ね、全52戦(計21勝)をタフに走り抜けたナムラタイタン。産駒は稀少ながら、ブンブンマル(地方重賞・名古屋記念など)を送り出し、JRAでも大橋厩舎に所属したメイショウホタルビが勝利を収めた。2023年シーズンで種牡馬を引退。いつまでも元気でと願わずにいられない。