サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

レッドデイヴィス

【2011年 鳴尾記念】驚くべきスピードで進化を遂げた黄金エイジの勇者

  晩成傾向にあるセン馬でありながら、レガシーワールド(ジャパンC)、マーベラスクラウン(ジャパンC)、トウカイポイント(マイルCS)、サウンドトゥルー(東京大賞典、チャンピオンズC、JBCクラシック)らとは違い、驚くべきスピードで進化を遂げたレッドデイヴィス。

 内国産として51年ぶりとなるリーディングサイアーを獲得し、一時代を築いたアグネスタキオンの産駒。母ディクシージャズ(その父トニービン)は未勝利に終わったが、菊花賞やメルボルンCに優勝したデルタブルースの半姉であり、同馬の半妹にレッドラヴィータ(3勝、マテンロウスカイの母)がいる。東京サラブレッドクラブでの募集総額は3400万円だった。

 ノーザンファーム早来で乗り込まれ、2歳5月、栗東に入厩。しかし、調教が進むにつれて平静を保てなくなった。馬っけが強く、いななないては立ち上がる。いったんグリーンウッド・トレーニングへ放牧。去勢手術を行った。

 担当の棚江浩治調教助手(音無秀孝厩舎)も、早くから確かな能力を感じ取っていた。
「クラシックに出走できず、もったいないと言われましたが、ちゃんと調教できるようになったからこそ、その後の活躍につながった。後々まで顔などに暴れた古傷が残っていても、中身はしっかりしていてタフ。想像以上に鍛えて味がある馬でしたよ」

 8月に帰厩。スイッチが入ると態度が一変し、盛んにジャンプする危うさは相変わらずながら、棚江さんも同馬向きの扱いをしっかり手の内に入れていく。

 阪神の芝1800m(2着)でデビュー。続く京都(芝1600mを2着)も勝ち切れなかったが、2回目となる京都のマイルを順当に勝利した。

 前が詰まって完全に脚を余した千両賞(9着)は参考外。ラチの切れ目で空馬が目に入って外へ逃げ、1位入線も降着(10着)に泣いた12月の阪神(芝1600m)を乗り越え、シンザン記念を快勝する。後の3冠馬、オルフェーヴル(2着)に1馬身半、桜花賞馬となったマルセリーナ(3着)には、さらに半馬身の差を付けた。

「一戦ごとに集中力を増し、ラチのないところも克服。インを頼らなくても、まっすぐ走れる下地はできました。抜け出す脚がびっくりするほど速いので、多少はもまれても大丈夫。シンザン記念後に放牧を挟み、だいぶしっかりしてきましたね。前肢の伸びが良くなって、スナップ力も強化。でも、緩さがあり、後輪が付いてこない乗り味でした。毎日杯も連勝。ゴール前でふわっとしてクビ差まで迫られたように、まだ精神面も若かったですよ。完成されたら、すごい馬になると思わせました」

 悪夢が襲ったのは京都新聞杯(10着)。レース中に右前の球節を剥離骨折していたのだ。北海道で立て直され、9月に栗東へ。しかし、馬体が細化していたため、天皇賞・秋への挑戦は白紙に戻し、NFしがらきで体調を整えることにした。

「11月に再入厩すると、追い切っても体重が減らず、すっかり状態は安定しました。元気があり余っているほど。楽々と好タイムが出ますし、終いの反応も抜群。久々のハンデがあっても、初の古馬相手でも、この馬なら跳ね除けてくれるんじゃないかと期待が高まりましたね」

 スローペースの後方を追走した鳴尾記念だったが、4角手前から進出を開始する。直線で力強く伸びて先頭へ。末脚自慢のショウナンマイティ(後に大阪杯に優勝、安田記念を2着)が鋭く迫ってきてもクビ差だけ凌ぎ、みごとな復活劇を演じた。

 ところが、有馬記念(9着)以降はフレッシュな心身を保てず、5歳時の六甲S(5着)まで9連敗を喫する。大阪ハンブルCでは本来の豪脚を爆発させ、鬱憤を晴らしたものの、天皇賞・春は12着に敗退したうえ、放牧先での調整過程で右前に繋靭帯炎を起こす不運に見舞われた。

 1年7か月ものブランクを経て、金鯱賞(11着)より戦列に復帰。京都金杯(7着)、京都記念(4着)、鳴尾記念(6着)、そして、7歳時の宝塚記念(7着)まで懸命に戦い抜き、波乱万丈の競走生活にピリオドを打った。

 ノーザンホースパークにて乗馬となり、静かに余生を過ごしているレッドデイヴィス。優秀な遺伝子を残せなかったとはいえ、怪物退治の伝説は長く後世へと語り継がれていく。