サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
アプレザンレーヴ
【2009年 青葉賞】青葉のころに見た壮大な夢
「競馬人にとって、最大の夢はダービー。ディープインパクト(05年)のときだって、緊張の連続だった。喜びに浸れたのは、レース直後のほんの一瞬だけ。勝利を目の当たりにしても、本当に現実なのか信じられず、頬っぺたをつねって表彰台に立ったくらい。それでも、できることならば、毎年、その戦いに加わりたい、何度でもあの感激を味わいたいって願ってきたよ」
日本競馬史に燦然と輝く数々の栄光を手にしてきた池江泰郎元調教師が、こう話してくれたことがある。
「あの馬にも大きな夢を託していた。潜在能力には自信を持っていたからね」
それが、2009年に青葉賞を制したアプレザンレーヴ。
サクセスブロッケン(フェブラリーSなどG1を3勝)、ストロングリターン(安田記念)、エピファネイア(菊花賞、ジャパンC)、ルヴァンスレーヴ(チャンピオンズCなどG1を現4勝)らを輩出しているシンボリクリスエスのファーストクロップ。母レーヴドスカーは、サンタラリ賞(仏G1)に勝ったトップホースである。同馬の兄姉にナイアガラ(5勝)、レーヴダムール(阪神ジュベナイルF2着)。レーヴドリアン(きさらぎ賞2着)、レーヴディソール(阪神ジュベナイルFなど重賞を3勝)、レーヴミストラル(青葉賞、日経新春杯)、レーヴァテイン(青葉賞3着)は弟妹にあたる。生まれながらの期待馬であり、サンデーサラブレッドクラブでの募集価格は総額5000万円。すくすくと育ち、馴致を開始した1歳秋には体重が520キロもあった。
「ナイアガラとは違って、とても伸びやかなスタイル。当歳のころから大型だったが、無骨な感じはなかった。育成先のノーザンファーム早来でも、軽いキャンターで駆けていたよ。背中が柔らかく、跨った誰もが乗り心地の良さをほめるんだ。意のままに動ける素直な性格で、調教も真面目に走ってくれる」
フランス語で「夢の後で」と名付けられた同馬は、2歳12月、阪神の芝2000mでデビュー。4着に終わった。10月末の入厩後も、しっかり乗り込めたものの、まだ体を持て余し、ふらつく若さが残っていた。ひと叩きされて一変し、年明けの京都(芝1800m)を悠々と逃げ切る。続く東京の500万下(芝2000m)でも豪快な差し切り勝ちを演じる。3馬身差の楽勝。ラスト3ハロンは、33秒8の鋭さだった。
「550キロあった馬体が20キロも絞れ、強さが際立ってきた。前で粘り込むタイプだと見ていたのに、あんな脚を使えるなんて。折り合いが付いたし、よく狭いところを割ってきた。予定していたつばき賞を除外される不運もあったけど、むしろプラスに働いた。ダービーの舞台となる東京向きだとわかったんだから」
毎日杯はスタート直後に躓く不利が響き、3着に敗れる。しかし、メンバー中で最速となる33秒5の上がりを駆使した。皐月賞へのエントリーはかなわなかったが、もともと名将の気持ちもダービーが本線。渾身の仕上げを施し、青葉賞に向う。
スローに流れるなか、道中は中団で折り合いに専念。直線は内田博幸騎手のムチに応え、大外を伸びる。いったんインよりマッハヴェロシティ(2着)が抜け出しを図ったが、坂上で手前が替わると再度の加速。ゴール前ではコンマ2秒も突き放した。思惑どおりに晴れ舞台への切符を手にする。
だが、ダービーはあいにくの不良馬場。スタート直後に挟まれる場面もあった。ロジユニヴァースから1秒遅れ、5着で入線。秋シーズンは神戸新聞杯(9着)で再スタートを切ったのだが、左前に浅屈腱炎を発症してしまう。あまりに早い引退だった。
青葉の時季にすべてを燃焼しつくしたかのような競走生活。ただし、懸命な魂が凝縮されたパフォーマンスを振り返れば、醒めてしまった夢も生き生きとリフレインされ、また新たな勇気と希望が運ばれてくる。