サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ローゼンクロイツ

【2007年 中京記念】中京で咲き誇る優美な薔薇

 競馬史に偉大な足跡を刻んだ橋口弘次郎厩舎にあって、真っ先に名が挙がるゆかりの血筋といえば「薔薇一族」。偉大な繁殖であるローザネイの子供や孫たちは重賞を19勝もしているが、すべて同ステーブルでマークしたものだ。

 真っ先にタイトルホルダーとなったロゼカラー(デイリー杯3歳S、その父シャーリーハイツ)は豪華に枝葉を広げ、ローズバド(フィリーズレビュー、マーメイドS、G1での2着が3回、ジャパンCなどに勝ったローズキングダムの母)を送り出したが、その全弟にあたるローゼンクロイツ(その父サンデーサイレンス)も破格のポテンシャルを垣間見せた逸材だった。

 総額6000万円でサンデーサラブレッドクラブの募集馬となった時点では、体質の弱さも目立っていたローゼンクロイツ。ノーザンファーム早来での乗り込みが進むと、めきめき頭角を現してきた。2歳9月、栗東へ入厩。スムーズに態勢が整い、翌月の京都、芝1600(クビ差の2着)でデビュー。続く芝2000mの未勝利を楽々と抜け出し、3馬身半差の圧勝を収めた。京都2歳Sでは早くもオープン勝ち。ラジオたんぱ杯2歳Sも2着し、翌春に夢をつなげた。

 3歳緒戦の毎日杯で初のタイトルを奪取。だが、クラシックで待ち構えていたのは稀代のスーパーホース、ディープインパクトだった。皐月賞は後方から差を詰めながら4着。ダービーも8着に終わる。神戸新聞杯(3着)を使って調子を上げ、菊花賞では3着に食い込んだ。

 しっかり英気を養い、中京記念へ。大外を早めに進出し、クビ差の2着に踏み止まった。大阪杯は5着。道悪に伸びが削がれたのが敗因だった。天皇賞・春では抑えが利かずに8着。それでも、金鯱賞で2着に追い込み、底力を示した。折り合いの難しさに泣いた4歳秋。京都大賞典(4着)、天皇賞・秋(13着)の2戦目だけに止め、リフレッシュ放牧を挟んだ。このころになると、左前肢の球節付近に軽い炎症が見られるようになり、患部に配慮しながらの調整を強いられる。

久々となった京都記念ではしきりにもたれ、13着に沈んだが、次に照準を定めたのは好相性を示していたコースで行われる中京記念。鬱憤を晴らすベストパフォーマンスを演じることとなる。

 5ハロン通過が57秒3というハイペースのなか、中団のインでじっくり脚をためた。コーナーでは巧みに外へ導き、持ったままで直線へ。馬場の真んなかを豪快に突き抜ける。2着に2馬身差を付ける鮮やかな勝利。走破タイムにも驚かされた。1分56秒9のレコード。

 初の騎乗でみごとに期待に応えた藤岡佑介騎手は、こう胸を張った。
「状態戻っていたし、パンパンの良なら、力の違いを見せられると思っていた。いくらでも伸びそうな手応えだったし、『交わせるものなら、交わしてみろ』というくらいの気持ちで追っていたよ」

 一息入れた後、金鯱賞も連勝。だが、脚元の状況はなかなか改善されず、天皇賞・秋(11着)へ直行。ジャパンC(15着)も、後方のままでゴールした。

 1番人気を背負い、6歳時も中京記念を狙ったものの、行きたがって7着に敗退する。金鯱賞では無念の競走中止。左前脚の指関節脱臼に加え、球節を粉砕骨折する重傷だった。残念ながら、安楽死の処置が施された。

 思う存分、才能を発揮した思い出の中京で、あっけなく散ってしまったローゼンクロイツ。次々に咲いた薔薇のなかでも、優美な大輪だった。