サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
ロングプライド
【2007年 ユニコーンステークス】ホースマンの誇りを呼び起こす忘れがたき乗り味
四位洋文騎手(現調教師)、藤田伸二騎手らを輩出した競馬学校の第7期生(1991年卒)の一員であり、ジョッキー時代はメルシーステージ(アーリントンC、毎日杯)やサウンドバリヤー(愛知杯)で重賞を制した河北通調教助手。ジョッキー時代より所属した小野幸治厩舎だけでなく、松下武士厩舎に移籍後も数々の活躍馬に携わってきたが、いまでも忘れられないのがロングプライドの乗り味だと話す。
「騎手の引退(09年)を意識し始めていたころに出会い、あきらめかけていた夢を呼び起こしてくれた。想像を超えた強さに震えましたよ」
父は天皇賞・春や有馬記念に勝ったサクラローレルだが、母ムゲン(その父アジュディケーティング、未勝利)はフェブラリーSやJCダートをはじめ、ダート重賞を8勝したウイングアローの半妹。同馬も砂巧者の遺伝子を色濃く受け継いでいた。
「なかなか態勢が整わず、入厩からデビューまで半年もかかったんですよ。当初は調教も動きませんでした。それが着実に成長。デビュー戦(3歳1月の京都、ダート1800m)は2着に敗れましたが、まだ体が緩かったですし、真剣味を欠いて道中はふわふわしていましたね。使われた上積みは大きかった」
続く中京のダート1700mは、2着に10馬身もの差を広げる。勢いに乗って沈丁花賞(2馬身差で勝利)に連闘。ゲートで後手を踏みながら、力でねじ伏せてしまった。
「結果的には完勝でしたが、2戦ともほめられた乗り方じゃなかった。折り合いを欠きましたから。この馬のリズムを守れば勝てると思い、端午Sは余裕を持って仕掛けましたよ」
ここも2着を7馬身も突き放し、3連勝を飾る。そして、ユニコーンSへ。武豊騎手に手綱を譲ることとなったのだが、熱き思いは愛馬に乗り移っていた。調教やレースで丹念に教え込んだことが、みごとに実を結ぶ。
暴れる他馬に気を取られ、スタートでは遅れを取ったとはいえ、後方でじっくり脚がたまった。これまでと違ったパターンに戸惑い、直線で追い出したときの手応えはひと息。それでも、エンジンがかかるとぐっと重心が下がり、ラストは矢のような伸びを見せる。先に抜け出したフェラーリピサ(兵庫CS、後にエルムSや根岸Sに優勝)をきっちり捕えてゴールした。
しかし、これが生涯でベストのパフォーマンスとなった。3歳11月にトパーズSを豪快に差し切ったものの、ジャパンダートダービー(3着)、エルムS(3着)、名古屋グランプリ(2着)、フェブラリーS(4着)など、不器用さに泣くケースが多かった。
4歳以降は左前に発症した屈腱炎との闘い。7歳時の平安S(9着)まで現役を続けながら、結局、2つ目のタイトルには手が届かなかった。
「もっと走れたはず。ずいぶん歯がゆい思いもしましたね。でも、あの馬のおかげで多くのことを学びました。これからの馬づくりへも生かしていかないと」
いつまでもロングプライドは、河北さんの胸のうちを疾走し、新たな勇気や希望を与え続けるに違いない。