サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
ランニングゲイル
【1997年 弥生賞】エリートを蹴散らした自由奔放な疾風
サニーブライアンが2冠を手にした1997年のクラシック戦線。同期にはマチカネフクキタル(菊花賞)、シルクジャスティス(有馬記念)、メジロブライト(天皇賞・春)、サイレンススズカ(宝塚記念)らが名を連ねる群雄割拠の世代にあって、ランニングゲイルも多くのファンに愛された一頭だった。
父はランニングフリー(アメリカJCC、日経賞、天皇賞・春2着)。9歳(当時)で引退するまで、長きに渡ってトップクラスと接戦を演じた通好みの名馬である。数少ない産駒より登場した待望のスター候補だった。
配されたのはイギリス生まれのミルダンス(その父ミルリーフ、愛1勝)。祖母アフリカンダンサーがG2・パークヒルSやG3・チェシャーオークスの覇者であり、英オークスを3着、ヨークシャーオークスでも2着と、G1でも上位に食い込んでいる。
8月の函館では早くもデビュー。初戦はダート1000m(8着)で大敗したが、スタート時に暴れる幼さが響いたものだった。2戦目の芝1200mも後方に置かれたうえ、フットワークの異変を察知したジョッキーが4コーナーで止める事態に。ソエを痛がったもので大事には至らず、以降に7着、5着と前進したものの、同開催では平凡な内容に終始した。
ところが、のびのびと走れさえすれば、本当は強かった。武豊騎手を鞍上に迎えて臨んだ京都(芝1800m)で一変。好スタートからハナを切ると、直線は離す一方だった。7馬身差のワンサイド勝ちを演じる。
続く黄菊賞(2着)は逃げ馬を捕えられなかったとはいえ、次位をコンマ9秒も凌ぐ上がり(3ハロン35秒5)を駆使し、最後方から追い込む。京都3歳S(現在は2歳S、芝1800mで施行)は2番手で流れに乗り、危なげない勝利を収めた。ナリタブライアンが樹立した3歳レコードタイムを更新。堂々とクラシック候補に躍り出る。
朝日杯3歳S(4着)は、3コーナーで進路が狭くなる致命的な不利に泣いた。若駒Sも2着に惜敗。しかし、この苦い経験も次走に生きることとなる。
後方に控えて1、2コーナーを回った弥生賞だったが、向正面に入ると急激にペースが落ちる。3コーナーで4番手に押し上げ、直線手前では単騎先頭。3馬身のリードを保ったまま、悠々とゴールに飛び飛び込んだ。数々の栄光を手にしてきた武豊騎手も、ベストパフォーマンスを訊かれるたび、「あんな痛快な思いは、滅多に味わえない」と、何度もこの一戦を挙げている。
2番人気に推された皐月賞だったが、インで窮屈な競馬を強いられて6着。メンバー中で最速の脚(3ハロン34秒0)を爆発させながら、プリンシバルSもクビ+クビ差の3着に惜敗する。ダービーは中位置から伸びたものの、5着止まりだった。
ここまで懸命に駆け抜けた反動は大きく、骨膜に悩まされるようになる。5歳時の道新杯が最後の勝利。トモの骨折による長期休養を経て、地方の川崎に移籍した後も低迷。8歳にして引退が決まった。
父とは対照的に早咲きだったランニングゲイルだが、2022年2月、28歳で天国に召されるまで幸せに余生を送った。エリートたちを翻弄した自由な走りは、長い年月を経てレース映像を見返してみても、独創的な美しさに満ちている。