サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

リーチザクラウン

【2010年 マイラーズカップ】新たに沸き起こる戴冠への熱望

 2歳10月に迎えたデビュー戦(京都の芝1800m)では後に皐月賞を制するアンライバルドの2着に敗れたものの、ブエナビスタ(ジャパンCなどG1を6勝)、スリーロールス(菊花賞)らに先着したリーチザクラウン。続く同条件を2着に2秒1もの大差を付けて勝ち上がり、千両賞も悠々と逃げ切った。ラジオNIKKEI杯2歳Sはハイペースに息が入らず、ロジユニヴァース(ダービー)の2着。それでも、クラシック候補との評価は揺るぎなく、翌春も3強による覇権争いが続くと思われた。

 大目標に向け、きさらき賞へ。単勝1・5倍の断然人気に推された。陣営は控える戦法を示唆していたが、行こうとする馬は皆無。押し出されてハナに立つ。抑えたままでスローなラップを刻み、直線では後続を置き去りにする。

 橋口弘次郎調教師は、影をも踏ませぬ3馬身半差の圧勝劇をこう振り返る。
「あの時点では、ついに神様がダービーを勝てる逸材を与えてくれたと思ったよ。積んでいるエンジンが違ううえ、皮膚が柔らかく、動きもしなやか。ストライドが大きいから、調教で速いタイムをマークしても、ゆったり走っているように映るんだ。ダンスインザダーク(ダービー2着、菊花賞)もそう、ハーツクライ(ダービー2着、有馬記念、ドバイシーマクラシック)もそうだった。ところが、オン・オフの切り替えが極端すぎて、レース直前になると、一気にテンションが上がる傾向が強まっていった」

 抑えが利かない性格に泣き、皐月賞は13着に惨敗。過酷な不良馬場となったダービーで2着に踏み止まり、秋緒戦の神戸新聞杯も2着して菊花賞に夢をつなげたが、大逃げで場内を沸かせながらも5着に終わる。

 ジャパンC(9着)、有馬記念(13着)と歩んだところで、陣営はマイル路線への転向を決意する。フェブラリーS(10着)に挑んだのも、ダート適性よりも距離を重視した選択だった。

マイラーズCで鮮やかに反撃。きちんと抑えが利き、好位で流れに乗る。トライアンフマーチの強襲をクビ差で退け、ぐいと前へ出てフィニッシュ。鮮やかにG2制覇を成し遂げる。

「これでダメなら、もういく道はない。そのくらいの気持ちで臨んだね。勝ててほっとしたが、ここで満足してはいけない器だと思っていたし、新たなチャレンジへの第一歩だと思っていたんだけどなぁ。結局、あのレースがピーク。すっかり歯車が狂ってしまった」

 1番人気を背負った安田記念は1番枠。ストレスがかかる馬込みでラチにもたれかかり、14着に沈む。レース後、右前の骨折が判明した。
京都金杯(4着)、中山記念(3着)などで見せ場をつくりながら、ノド鳴り、再度の骨折などに阻まれ、以降も未勝利に終わる。7歳時の東京新聞杯(16着)がラストラン。オーナーの変更、美浦への転厩もあり、波乱万丈の競走生活だった。

 アロースタッドで種牡馬入り。母クラウンピース(その父シアトルスルー)は1勝したのみだが、同馬の全姉に小倉記念を3着したクラウンプリンセス(7勝)らがいる。祖母クラシッククラウンがフリゼットS、ガゼルHと米G1で2勝を挙げた名牝。チーフズクラウン(米G1を8勝、種牡馬)も名を連ねる一流のファミリー。ダービーやジャパンCを制したスペシャルウィークの有力後継であり、豊富なスピードも見込めた。

 キョウヘイ(シンザン記念)に続き、クラウンプライド(UAEダービーなど重賞を3勝)、がタイトルを奪取。2024年、この世を去ったが、残された産駒たちに新たなリーチザクラウン(戴冠)の夢を託したい。