サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

リミットレスビッド

【2006年 兵庫ゴールドトロフィー】幾多の苦難を跳ね除けたリミットレスなポテンシャル

 2歳12月のデビュー時(阪神の芝1600mを2着)より素質を高く評価されていたリミットレスビッド。だが、続く阪神(芝2000m)をクビ差の2着したところで、骨膜炎を発症。6か月のブランクを経る。

 3歳6月、復帰戦のダート1800mをいきなり勝利。しかし、500万条件を2戦しただけで骨折。9か月半後にカムバックすると、筑紫特別、別府特別、壬生特別と勝利を重ねたものの、再び骨折に泣いた。今度は11か月もの休養が必要だった。5歳秋になり、仲秋特別を優勝。アンドロメダSも制してオープン入りを果たした。

「条件戦を走っていたころは、いつも除外が付きまとった。レースを厳選できなかったし、目いっぱいの仕上げができなかったんだ。でも、体質が弱い段階で激しい競馬をさせなかったことが、その後につながったね。故障したのも、怪我の功名。休養を経るたびに、心身がぐんとたくましく成長したもの」
 と、加用正調教師はしみじみと振り返る。重賞でも健闘するようになった矢先、またもや骨折が判明し、8か月半の沈黙。だが、トレーナーにあせりはなかったという。

「こちらとしては手がかかった記憶はないよ。だって、思いもよらぬタイミングで勝手にトラブルに見舞われて放牧へ出ていったし、戻ってくるときは本当にいい状態に仕上がっている。社台サラブレッドクラブで募集された価格が8000万円。社台ファームでも能力を信じているから、丁寧に調整してくれた。安心して任せて、ときどき『まだかなぁ』って様子を訊くだけ。オーナー(出資会員)も大きな夢を買った人たちだけに、理解が深くてね。目先のことにとらわれず、辛抱すべきときに辛抱できる環境が整っていた」

 日本競馬を一変させたサンデーサイレンスが父。母エリザベスローズ(その父ノーザンテースト)は、セントウルSなど5勝をマークした。同馬の全兄にフサイチゼノン(弥生賞)、アグネスゴールド(スプリングS、きさらぎ賞)がいる筋が通ったファミリーである。

 たび重なる苦難を跳ね返し、同馬が最高の輝きを放ったのが7歳以降。久々となったダートのガーネットSで、ついに初重賞制覇を成し遂げた。冬場が得意なタイプ。心身ともにフレッシュな状態にあり、どんどん上を目指せるタイミングが到来した。さらに根岸Sへ向かうと、2馬身差の完勝。クビ差が5つも並んだ熾烈な2着争いを尻目に、鮮やかに突き抜ける。

 コンスタントに出走できる態勢が固まり、CBC賞(3着)をはじめ、ターフのスプリントでも健闘。東京盃を差し切ったうえ、JBCマイルでも3着に食い下がる。兵庫ゴールドTは好位からあっさりと抜け出し、3馬身差で優勝。依然としてリミットレスな可能性を感じさせた。

「キャリアを積むごと才能の原石が磨かれ、充実ぶりは目を見張るものがあった。いくらポテンシャルが高くても、それを発揮できずに終わるケースは多いから、ほんと頭が下がるなぁ」

 翌シーズンもガーネットS(2着)で実力を誇示した後、黒船賞に楽勝する。プロキオンS(2着)までの3走で掲示板を確保した後、秋初戦の東京盃で連覇を達成する。大井の長い直線をフルに生かした堂々たる逆転劇だった。

 快進撃はまだまだ続く。兵庫ゴールドT、さきたま杯でタイトルを追加。10歳にして、JBCスプリントを3着するなど、衰えを感じさせなかった。翌春の東京スプリント(7着)がラストラン。引退後は韓国で種牡馬となった。

 全63戦を消化しながら、5割以上の3着内率を誇るリミットレスビッド。関係者だけでなく、多くのファンに愛された。記憶にも記録にも残る名馬といえよう。