サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ワンダーアキュート

【2013年 日本テレビ盃】苦労人が育んだエネルギッシュな王者

 長きに亘ってトップクラスと熱戦を演じたワンダーアキュート。9歳にして、かしわ記念でG1の勲章を積み重ねたうえ、南部杯(3着)に続き、ラストランとなった東京大賞典(3着)でも見せ場をつくった。

 ケンタッキーダービー、プリークネスSを制したカリズマティックが父。ただし、種牡馬としての成績はふるわず、JRAの平地重賞に勝ったのは同馬だけである。ただし、管理した佐藤正雄調教師にとっては、早くから大きな希望を託していた一頭。同馬の母であるワンダーヘリテージ(その父プレザントタップ、未勝利)は、東海Sなどダート重賞を5勝したワンダースピードを産んでいた。

「当歳で初対面した当時でも、立派な馬格をしていたよ。ただし、もともと奥手と見ていた。血統背景もそうだし、やんちゃな性格。き甲が抜けるのも遅かったもの。緩いところに配慮して、吉澤ステーブルでの育成もじっくりと進められたんだ。入厩当時も頼りなく、デビューまで3か月くらい乗り込む必要があったね」
 と、ステーブル史上の最高傑作について、馬づくりベテランは懐かしそうに振り返る。

 3歳1月、京都の新馬(ダート1800m)に臨んだ際は、7番人気にすぎなかったものの、出ムチを入れてハナを奪うと、物見をしながらも勝ち切ってしまった。昇級後の2戦は7着、6着と振るわなかったが、3月の阪神、ダート1800mで豪快な差し切りを決める。

「パドックでも盛んに立ち上がっていたように、夏以前は気性の若さが目立っていた。ゲートの出も不安定。周りに馬がいないと淋しがり、輸送も大嫌いなんだ。青葉賞(10着)で関東へ行ったときは、汗びっしょりだったよ」

 そんな状況にもかかわらず、6戦目のあおぎりSで1000万下を卒業する。激しくイレ込み、ジャパンダートダービーは5着、レパードS(5着)も、外枠が堪えて前へ行けなかったのが敗因だった。月1走のペースを守り、コンスタントに出走を重ねながらも、秋の到来を機に一変を遂げる。オークランドRCTを5馬身差で快勝。勢いに乗り、シリウスSに駒を進める。あっさり抜け出し、3馬身もの差を広げてゴールに飛び込んだ。

 騎手時代にニシノフラワーで91年阪神3歳牝馬Sなどを制したことで知られ、トレーナーに転身後もタマモストロング(01年かしわ記念)で交流重賞に勝ったことがある佐藤師だが、99年の開業以来、初めてとなるJRAのグレードレース優勝だった。

「苦節10年、念願のタイトル。当時も馬に跨っていないと落ち着かない現場派だったけど、地道にやっていれば、こんな馬とも出会える。もっと大きな喜びを味わいたいって、新たな意欲がわいてきたなぁ」

 続く武蔵野Sも早め先頭から押し切り、破竹の3連勝を達成。JCダート(6着)後は、骨折から立ち直るのに時間がかかったが、4歳時もベテルギウスSを勝利する。5歳になって、一段と強靭さを増し、仁川Sを順当に突破。名古屋大賞典、アンタレスSも2着を確保した。

 東海Sでは久々の重賞優勝がかなう。ラストで遊ぶ面を見せたほど。危なげないパフォーマンスだった。スタートで躓く致命的な不利がありながら、JCダートを2着。東京大賞典(2着)では、スマートファルコンをわずか3・5センチ差まで追い詰めた。

 そして、6歳時のJBCクラシックでは待望のG1制覇が成し遂げられた。JCダート(2着)以降もダートの王道路線で5戦続けて3着以内に食い込む。7歳で臨んだ帝王賞は3着。優勝したホッコータルマエら、新勢力が台頭するなかでも、衰えは感じさせなかった。

 5つ目の重賞勝ちを果たした日本テレビ盃は、手に汗握るデッドヒート。渋太く逃げ込みをはかるソリタリーキングとの叩き合いが続いたが、ゴール前できっちりと交し去った。さらなる充実を物語る内容である。

「惜敗の鬱憤をすっきり晴らしてくれた。依然としてフレッシュな肉体を維持。年齢を重ねても、底知れないエネルギーが伝わってくる。精神的にもどっしりしてきたね。すっかり走りが上手になった」

 JBCクラシック、JCダート、東京大賞典と、頂上決戦を3連続して2着。フェブラリーS(6着)、かしわ記念(3着)と堅実に歩み、帝王賞へと駒を進める。絶好の3番手をキープすると、直線の追い比べであっさり抜け出し、2馬身の差を広げてフィニッシュ。2度目となるG1を奪取する。

 アロースタッドで種牡馬入り。目立った産駒を残せず、2024年シーズンで引退した。それでも、古馬の重賞路線で66・7%の3着内率を残した強靭な走りは後世へも語り継がれる。