サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

アドマイヤメイン

【2006年 毎日杯】名将もときめいた盛春の独走劇

 サンデーサイレンスが残した最後の世代のなかでも、早くから優れた才能を見込まれていたアドマイヤメイン。母プロモーション(その父)は、クイーンSに勝った活躍馬である。

 橋田満調教師が同馬と出会ったのは、セレクトセール(当歳)で1億3900万円にて落札される以前のこと。生まれ育ったノーザンファームを訪れた際に、垢抜けた馬体やしなやかな動きに見惚れたという。

 早くから豊富な体力を誇り、2歳8月、函館競馬場に入厩。栗東へ移り、短期間で出走態勢が整った。阪神で迎えた新馬は2着だったものの、10月の京都(芝1600m)を6馬身の差を付けて逃げ切った。だが、黄菊賞(2着)、エリカ賞(3着)、ホープフルS(4着)、きさらぎ賞(5着)と、あと一歩で勝ち切れなかった。

「控える競馬を覚えさせようとして、2勝目を挙げるのに苦労しました。身のこなしが柔らかく、大きなフットワークで走る反面、あまりに緩すぎて、瞬発力勝負になるとつらい。その弱点を補うために、自分で速い流れを演出していく必要があったんです。ただし、逃げ馬といっても、かつて管理したサイレンススズカとはずいぶんタイプが異なりますよ」
 と、トレーナーは個性を説明してくれる。

 レーススタイルが確立してからは、見違えるような強さを発揮。3月の阪神(芝2000m)では、後続を9馬身も突き放した。毎日杯で初のタイトルを奪取。押してハナを主張して、いったん後続を引き離す。中盤では脚をため、早めにスパート。ラストまでセーフティーリードを保ったまま、悠然と栄光のゴールを駆け抜けた。

「他馬を威圧するような雰囲気を漂わせていて。顔が怖いときが好調のサインでした。これならば、ダービーを狙えると確信。ステップに選んだ青葉賞(4馬身差の圧勝)も最高のパフォーマンスでしたね。ピークの状態で臨めたのに、本番はクビ差の2着。もっと離して逃げるべきだったと指摘する人もいました。でも、ノメって行けなかったんです。ラストで盛り返す健闘を見せていても、良馬場だったらと悔やまれますよ」

 懸命に走り抜いた反動は大きく、レース翌日には熱発。だが、秋にも大きな目標が待ち受けているだけに、そうのんびりしている余裕はなかった。ぎりぎり間に合った神戸新聞杯は7着。体調が上向きつつあった菊花賞(3着)では、ハイラップを刻み、レコード決着をもたらす。

 香港ヴァーズ(8着)、有馬記念(9着)とも不完全燃焼。海外に滞在している間や検疫中は、淋しがってそわそわしていたという。走りに集中できず、作戦どおりに逃げてはいても、背後の馬を待っているような気配があったと、騎乗した武豊騎手、柴田善臣騎手は口を揃える。

 以降も精神面の歯車が噛み合わないまま。5歳のアイルランドトロフィー(5着)を走り終え、左前に屈腱炎を発症してしまう。結局、青葉賞が最後の勝利となった。

 社台スタリオンステーションにて種牡馬となったが、1シーズンだけで南アフリカへ輸出されたアドマイヤメイン。それでも、頂上決戦で接戦を演じた勇姿は、多くのファンの目にくっきりと焼き付いている。