サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

スマートファルコン

【2011年 帝王賞】無類の速さを誇ったパワフルな隼

 JRA所属ながら、2年連続してNARグランプリ・ダートグレード競走特別賞を受賞したスマートファルコン。地方主催の重賞に照準を定めて19勝(うちG1を6勝)と、無類の強さを誇示した。

 父はゴールドアリュール。サンデーサイレンスの後継ながら、ダートのG1を4勝したパワフルな血脈であり、同世代の傑作にエスポワールシチー(JCダートなどG1を9勝)もいる。母ケイシュウハーブ(その父ミシシッピアン)は不出走だが、繁殖成績は優秀。同馬の半兄に東京大賞典を制したワールドクリークがいる。

 この血らしく、2歳時はダートで2勝。芝のジュニアCでオープン勝ちし、皐月賞(18着)にも駒を進めた。小崎憲調教師のもとに転厩し、ともに歩み始めたのはジャパンダートダービー(2着)以降のこと。続くKBC杯を制すると、3歳秋の白山大賞典(1着)を皮切りに、一貫して交流重賞で戦うこととなる。

「地方への出走枠は狭き門。まずは優先してエントリーできる地位を固め、選択肢を広げたかった。晩年はどっしりしてきたとはいえ、オン・オフの切り替えが極端。100かゼロかといった性格なんですよ。使いたいところへ使えない状況では、丁寧に教え込むこともできません。それに、中央の激しい先行争いに加われば、一気に消耗してしまい、伸びていかない恐れもありました。JRAに出走しないことへの批判も聞こえてきましたが、馬の持ち味に沿って、関係者やスタッフとよく話し合って決めた路線なんです」
 と、小崎トレーナーは独自の歩みについて説明してくれる。

 続くJBCスプリントも2着に健闘すると、翌年のさきたま杯まで6連勝で突き進む。4歳時に敗れたのは、マーキュリーC(2着)と、トモを引っ掛けられて外傷を負った浦和記念(7着)だけだった。

 かきつばた記念、さきたま杯と手中に収め、帝王賞へ。ここでは直線で失速し、フリオーソの6着だった。だが、5歳後半になり、またひと皮むける。休養明けの日本テレビ盃こそ3着に敗れたが、JBCクラシックで7馬身差の独走を決め、G1を初制覇。浦和記念も余裕たっぷりに圧勝した。

 そして、東京大賞典へ。5ハロン通過が58秒9というハイラップで飛ばしながら、ラスト3ハロン(37秒3)も最速の上りで押し切ってしまった。パワー優先の大井競馬場(良馬場)にもかかわらず、2分0秒4の日本記録(従来のコースレコードは2分2秒1、JRAでは阪神の2分1秒0)を樹立したのだ。

「あの年は浦和記念で終わりにしようと考えていたのですが、ますます馬が充実。積み重ねてきたものが集約された結果です。パワー優先の大井競馬場でようやく勝て、収穫は大きかった。翌年の帝王賞やJBCクラシック(大井で開催)に向け、自信を深めましたね」

 後続が追走に苦しむほどのペースで逃げるスタイルが定着し、破竹の9連勝を達成するのだが、生涯で最も着差を広げたレースが6歳時の帝王賞だった。単勝1・2倍の支持を集めていたとはいえ、エスポワールシチー(2着)やバーディバーディ(3着)も実力馬。虎視眈々と逆転を狙い、逃げる同馬をぴたりとマークして進む。だが、直線に入ったところで勝負あり。あり余るスタミナを爆発させ、ラスト2ハロン目は驚異の11秒3をマークしている。後続を9馬身もちぎり、悠然とゴールに飛び込んだ。

 7歳になって挑んだドバイワールドC(10着)がラストランとなったが、そのステップに選択した川崎記念ではレコードを2秒0も更新するタイムで駆け抜けているように、引退時までチャンピオンの座を守り通したスマートファルコン。飛節に故障を発症しなければ、記録はさらに伸びたことだろう。

 引退後は社台スタリオンステーションからレックススタッドに移動して供用。オーヴェルニュ(東海S、平安S)、シャマル(かしわ記念2回など交流重賞を8勝)を輩出し、種牡馬としても存在感を示している。新たな逸材の登場を期待したい。