サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
スリーロールス
【2009年 菊花賞】一途な情熱に磨かれた美しき大輪
驚異的なスピードで勝ち鞍を重ね、日本競馬をリードする杉山晴紀調教師。武宏平厩舎の調教助手を務めた当時に接し、いまでも馬づくりの礎となっているのがスリーロールスである。
「いまにつながる貴重な財産となっています。この上ない喜びも味わえましたが、仕事の重さを痛感させられたのは、有馬記念で故障してしまい、競走生命を断たれた事実のほう。成績を求めるのはもちろん、入念なチェックによって、トラブル回避に努めています」
高いレベルに個性派がひしめき、この世代の牡馬戦線は主要レースのたびにくるくると着順が入れ替わった。驚異的な成長力で菊花賞を制したのが、1000万クラスを卒業したばかりのスリーロールス。杉山トレーナーは、まだキャリア7年の28歳だった。
「抽選の壁をクリアした時点で、いいことが起こりそうな予感がしましたよ。しかも、絶好の1番枠。引き当てた時点で、思わずガッポーズをしたんです」
大逃げを打ったリーチザクラウン(5着)が粘り込みを図るなか、好位のインで脚をためていた8番人気の伏兵は、直線で一気に馬群を割った。抜け出してからターフビジョンを見て外に逃げたものの、2着のフォゲッタブルが猛追すると再び闘志に火が付き、ハナ差だけ前へ出てゴール。
母スリーローマン(その父ブライアンズタイム)も武宏平厩舎で走り、35戦4勝。府中牝馬Sでも3着した。父ダンスインザダークは菊花賞馬であり、もともと長距離をこなせる下地が備わっていた。
オウケンブルースリが制した菊花賞の当日、京都・芝1800mでデビュー。後に皐月賞馬となるアンライバルド、ダービー2着のリーチザクラウン、牝馬2冠のみならずG1を6勝したブエナビスタに続く4着だった。
「初めて跨った瞬間から、これまでに味わったことのない感触がありました。併せ馬でも怯むことがありません。ゲートも速く、センスにあふれていましたね。ただし、トモに力が足りず、疲れがたまりがち。コーナーではきつくハミを取りすぎる面があり、折り合いにも改善の余地がありましたよ」
2戦目の芝2000mは5着に終わったが、コーナーが2つの外回りが得意な条件。3戦目(京都の芝1800m)で初勝利を挙げる。
「中京2歳S(5着)では、内にもたれました。直線で左手前に替わると反応がいいのに、逆だとスムーズさを欠くんです」
当初はダービー出走を大目標に掲げていても、しばらくは意外な足踏み。そんななかでも進境を示し、8戦目となった5月の京都で500万下を快勝する。
「強い勝ち方でしたし、秋にはG1を目指せると感じました。それならば、あえて余力があるうちに休養させようと。その効果ははっきり。腰がパンとし、ぐっとたくましくなりましたね」
小回りの小倉ではなく、新潟の弥彦特別を復帰戦に選択。緒戦は5着に終わったものの、勝負の時期は先と見ていた。野分特別を4馬身差で勝ち上がると、すべてが思い通りに回り出したのだ。
「角馬場で3000mくらい乗ってから坂路へ行ったり、一気に距離が延びることを念頭に置いたメニューを工夫しました。1週前にウッドコースを2周走らせたら、手前にかかわらずリズムを保ったまま、指示したペースを守れましたから」
本格化するのが遅かったぶん、さらなる前進が見込まれた同馬は、丁寧に磨きをかけられ、暮れの大一番、有馬記念へ。しかし、ときに競馬は過酷な結末を突き付ける。2周目の3コーナー手前で競走中止。左前脚の浅屈腱を不全断裂する重傷だった。競走能力喪失との診断が下された。
レックススタッドで種牡馬入りしたものの、需要は少なく、早々と乗馬に転身したスリーロールス。しかし、今後も敏腕チームに勇気を与え、さらなる前進を後押ししていくに違いない。