サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

スーパーホーネット

【2008年 京王杯スプリングカップ】常勝ステーブルを勢い付けた誉れ高き一番槍

 驚異的なペースで勝ち鞍を積み重ね、すっかり日本を代表する地位を固めた矢作芳人厩舎。その歴史とともに歩み、チームに勢いを与えたのがスーパーホーネットだった。

「あと一歩でG1制覇を果たせなかったとはいえ、いつまでもチームの誇り。あの馬に巡り会えたから、自分のやり方に自信を持てた。いまにつながる貴重な経験を積ませてくれ、感謝するしかありませんよ」
 と、矢作調教師は健闘を称える。

 父はロドリゴデトリアーノ。エリモエクセル(オークス)などを送り出してはいたが、種付け頭数が減少していたタイミングで現れた貴重な産駒である。母ユウサンポリッシュ(その父エルセニョール)は未勝利。それでも、整ったバランスや素軽い身のこなしから、トレーナーも早くから確かな才能を感じ取っていたという。

 2歳の9月、札幌の芝1800m(4着)でデビュー。2戦目の芝1500mを豪快に差し切った。デイリー杯2歳Sは出遅れながら3着。くるみ賞を順当に勝ち上がると、朝日杯FSではメンバー中で最速となる34秒0の上りを駆使し、クビ差の2着に浮上する。開業初年度にもかかわらず、ステーブルの名は多くのファンに知れ渡った。

 翌春は弥生賞(5着)から始動し、皐月賞(10着)やダービー(15着)へと駒を進める。秋緒戦の富士Sは14着。苦い戦いを乗り越え、カシオペアSで一気の巻き返しに成功し、1年ぶりに勝利する。

 しばらくは重賞の壁に跳ね返され、マイルCS(9着)、阪急杯(7着)と振るわなかったものの、大阪城Sで4勝目を挙げた。マイラーズC(15着)を経て、都大路Sでまた一変の快勝。だが、安田記念は11着に敗退する。

 ひと皮むけたのが4歳秋。夏場を北海道浦河のシュウジデイファームで過ごした効果は大きかった。ポートアイランドSでは4馬身も突き放して勝利。スワンSでは待望のタイトルに手が届く。駆使した末脚はレースの上がりを1秒6も上回る33秒9の鋭さだった。鮮やかな逆転劇で、厩舎に初のタイトルをもたらす。続くマイルCSもクビ差の2着。いよいよ本格化してきた。翌春は高松宮記念(5着)より始動し、京王杯SCに駒を進める。

 淀みない流れの中団を手応え良く追走。ほとんどの馬がラスト3ハロンを33秒台でまとめる決め手比べとなっても、同馬の差し脚は鮮烈だった。コンマ3秒の決定的な差を付け、悠然とゴールに飛び込んだ。

「肉体面の充実は著しかった。狙う舞台に合わせ、十分に計算した仕上げを施せるように。精神面の難しさも改善され、ワンランク上の調教を施せるようになりましたよ。かつては苦手とした長距離輸送も克服。一度レースを使うと、次の競馬を察して自ら追い詰めてしまう傾向が、ようやく和らいできました」

 安田記念こそ出遅れて8着に終わったが、秋緒戦の毎日王冠を堂々と制覇。稀代の名牝であり、東京コースで無類の強さを誇るウオッカを撃破した価値ある1勝であり、超一流のポテンシャルをアピールした。

 大外を猛然と追い込み、マイルCSは2着。香港マイルも5着に食い下がる。帰国後はしっかり英気を養い、マイラーズCへ。スローな流れを中団で折り合い、直線半ばで先頭へ。クビ差の辛勝ではあったが、最後まで余力を残したまま、堂々と押し切る。

 ところが、安田記念は7着。ここで脚元に炎症を起こし、8か月間の沈黙。フェブラリーS(15着)、マイラーズC(9着)と人気を裏切った。

 実力を再認識させたのが、4度目となる安田記念。直線で持ち前の瞬発力を爆発させ、半馬身差の2着に迫る。しかし、これが最後の輝きだった。天皇賞・秋(11着)を走り終えると、右前脚に屈腱炎を発症。惜しまれつつターフを去った。

 数少ない産駒よりシゲルノコギリザメ(シンザン記念3着、ファルコンS3着)が存在感を示したものの、すでに種牡馬を引退。それでも、多くのトップクラスを脅かした果敢な攻撃(馬名はアメリカ海軍の戦闘機より)は、いまでもファンの目に焼き付いたままである。