サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ステイゴールド

【2001年 日経新春杯】黄金の輝きを放った愛すべきシルバーコレクター

 ドリームジャーニー(有馬記念、宝塚記念、朝日杯FS)、ナカヤマフェスタ(宝塚記念)、オルフェーヴル(牡馬クラシック3冠、有馬記念2回、宝塚記念)、ゴールドシップ(皐月賞、菊花賞、有馬記念、宝塚記念2回、天皇賞・春)、フェノーメノ(天皇賞・春2回)、オジュウチョウサン(中山グランドジャンプ6回、中山大障害3回)、ウインブライト(クイーンエリザベス2世C、香港C)、インディチャンプ(安田記念、マイルCS)をはじめ、次々とビッグタイトルを手中に収めたステイゴールドの産駒たち。日本競馬を一変させたサンデーサイレンスの後継のなかでも、大舞台向きの底力に関しては断然のものがあった。

 同馬の母ゴールデンサッシュ(その父ディクタス)は未勝利に終わったが、サッカーボーイ(マイルCS、阪神3歳S)の全妹にあたり、繁栄しているファミリー。当歳時に対面した池江泰郎調教師は、こんな第一印象を受けたという。

「小柄でも品があって、きりりとした雰囲気。全身を柔らかく使え、動かすと大きく見せるんだ」

 社台サラブレッドクラブにて総額総額3800万円で募集された同馬は、ノーザンファーム空港で基礎固めされ、3歳(現在の年齢表記では2歳)10月に栗東へ。12月の阪神、芝2000m(3着)でデビューした。2戦目は16着と大敗。右前の骨膜に配慮して放牧を挟む。2月の京都ではダートを試したが、コーナーで逃げ、鞍上の熊沢重文騎手を振り落として競走中止。調教再審査の制裁を受けた。当時、調教助手として携わっていた池江泰寿調教師は、こう若駒時代を振り返る。

「晩生だったことも確かですが、気性のきつさが半端じゃなく、猛獣みたいでしたからね。しかも、ずる賢く、一生懸命に走ろうとしない。左にもたれる悪癖も、そうすればジョッキーが満足に追えないことをわかってのことでした。矯正に苦労しましたよ」

 ただし、そんな課題を抱えながらも素軽く、しなやかな個性。しかも、強靭さを兼ね備えていた。使われながら持ち味を発揮し始める。2着を2走続けた後、5月の東京(芝2400m)、すいれん賞と連勝。阿寒湖特別で3勝目をつかみ、菊花賞(8着)へも駒を進めた。

 準オープンの身ながら、ダイヤモンドSを2着。それ以降はすべて重賞に挑んだ。天皇賞・春は2着、宝塚記念も2着、そして天皇賞・秋(2着)と歩んだころには「シルバーコレクター」との愛称が定着。堅実な走りに人気は高まる。有馬記念(3着)、翌年も宝塚記念(3着)、天皇賞・秋(2着)と健闘。だが、なかなかトップでゴールすることはなく、結局、28連敗を喫した。

 なんとか勝たせたいと願った陣営は、目黒記念では熊沢騎手から武豊騎手への乗り替わりを決断する。名手も使命感に燃え、完璧な手綱さばきを見せる。好位で勝負することが多かった同馬をハイペースの中団で折り合わせ、直線まで追い出しを我慢した。進出を開始すると、場内より大歓声が沸き起こる。レースの上がりを2秒8も凌ぐ35秒3の豪脚を爆発させ、悠々とゴールへ。これまでの鬱憤を吹き飛ばす快勝に、しばらく拍手が鳴り止まなかった。

「G1でもこんなに祝福されることはない。じんときて、思わず涙が出たね」(池江泰郎調教師)

 翌冬の日経新春杯では2つのタイトルを奪取する。初騎乗となった藤田伸二騎手は、スローペースを読んで3番手に付けた。インをロスなく立ち回り、楽な手応えで4コーナーを通過。58・5キロの酷量を簡単に跳ね除け、先頭へと踊り出る。格の違いを見せ付けるコンマ2秒差。一瞬にして勝負を決めた。殊勲のジョッキーも、能力の高さを賞賛した。

「これまでのレースを見て、ズブいイメージを抱いていたけど、実際に跨ったら、こちらが疲れるほどじゃなかった。気を抜いて走るとはいえ、押っ付ける必要はなかったよ。しばらくG1で結果が出なかったが、不利もあったからね。スムーズな競馬ができたのがなにより。速い上がりになっても、しっかりと伸びたあたりに、超一流の風格を感じたなぁ」

 勢いに乗り、ドバイシーマクラシック(当時はG2)に挑む。ファンタスティックライトをゴール寸前で捕らえ、世界にその名を轟かせた。さらに香港ヴァーズでは国際G1を制覇。幸せな競争生活を終えた。

 全50戦を振り返れば、壮大な叙事詩のような深みがある。2015年の種付けシーズン中に急逝したのが惜しまれるものの、まばゆい輝きが後継たちに受け継がれ、この先も黄金のサイアーラインは豪華に発展を遂げていく。