サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
スリープレスナイト
【2008年 スプリンターズステークス】眠れぬ夜によみがえる勝利への執念
数々の名馬を育てた橋口弘次郎調教師にとっても、2008年のJRA賞最優秀短距離馬に輝いたスリープレスナイトは忘れられない一頭。馬づくりの達人は、こう感慨深げに振り返る。
「もともと非凡なスピードやパワーの持ち主だったけど、最適の分野が定まったらどんどん張りを増し、見違えるようになった。4歳時のスプリンターズSは、負けることなど想像できなかったもの。ピークが短かったとはいえ、歴史に残る名牝だよ」
コンスタントに勝ち上がるだけでなく、カレンチャン(スプリンターズS、高松宮記念)、ホエールキャプチャ(ヴィクトリアマイル)、アエロリット(NHKマイルC)、ソダシ(阪神JF、桜花賞、ヴィクトリアマイル)、ママコチャ(スプリンターズS)といった女傑を輩出したクロフネの産駒。母ホワットケイティーディド(その父ヌレエフ、英仏で3勝)は、ヒシアマゾン(エリザベス女王杯など重賞9勝)の半姉にあたる。愛1000ギニーを制し、英3歳牝馬チャンピオンとなった祖母ケイティーズに連なる名牝系である。
3歳1月、京都の芝1400m(2着)でデビュー。続く未勝利(芝1600mを3着)も勝ち切れなかったことで、ダート1200mに路線変更すると、いきなり10馬身差の楽勝を決めた。昇級初戦は出遅れが響き、2着に終わったものの、2か月半のリフレッシュ後は500万下、出石特別、越後Sと3連勝でオープン入り。4歳になって一段と充実し、京葉S、栗東Sと勝利を重ねる。ここまで砂の6ハロン戦では7戦6勝と無類の強さを誇っていた。
いずれは芝へも再チャレンジさせたいと機会をうかがっていた陣営は、次のターゲットにCBC賞を選択する。馬なりで2番手に付け、早め先頭から鮮やかに押し切った。
「返し馬でも気負ったところがなく、むしろ走りやすそうでしたね。馬の力を信じていました」
と、晴れやかな笑顔を浮かべたのは、98年のスワンS(ロイヤルスズカ)以来となる重賞制覇を果たした主戦の上村洋行騎手(現調教師)。ジッキー人生は決して平坦なものではなく、「黄斑上ぶどう膜炎」という病に侵され、4回もの手術を受けた過去があった。
「浮き沈みが激しくて。目にケガをしたのが原因で、急激に視力が落ちたときは精神的に追い詰められました。もう乗れないかもしれないという状況になって、やり残したことだらけだと気付いたんです」
そんなとき、手を差し伸べてくれる理解者が現れる。それまで縁がなかった橋口厩舎の調教に深くかかわるようになったのだ。
「なかなか恩返しができなかったので、橋口先生の管理馬で久々の重賞を勝てたことが、何よりもうれしかった」
最愛のパートナーであるスリープレスナイトと出会い、心の眼力も向上。北九州記念では堂々の1番人気に推されたが、周りが、そして自分の姿がよく見えていた。スムーズに先行。満を持して追い出すと、あっさり後続を突き放した。56キロのハンデを背負いながら、2馬身差の快勝。いよいよG1の栄光が射程に入ってきた。
「ゴールにたどり着いた途端、スプリンターズSのことで頭のなかが一杯になりましたよ。その後も馬は完璧なデキを保っていましたし、あとは自分だけ。でも、過剰にプレッシャーを感じることはなかったですね。一緒に戦いながら、信頼関係を深めてきた仲ですから」
頂上決戦に臨んでも、道中は意外なほど冷静でいられたという。スタートを決め、好位の外で流れに乗る。直線は並びかけてきたキンシャサノキセキ(コンマ2秒差の2着)の手応えを見る余裕があり、ひと呼吸置いてから全身にため込んだエネルギーを爆発させたところ、あっけなく視界は開けた。それでも、17年目にしてG1制覇は初。ゴール手前で勝利を確信した瞬間、一気に感情があふれ出し、少し早めに左腕を突き上げていた。
さらなる飛躍が見込まれたスリープレスナイトだったが、外傷を負うアクシデントがあり、香港スプリントへのチャレンジを断念。蕁麻疹発症による調整の狂いもあり、翌春の高松宮記念は2着に涙を飲んだ。結局、セントウルS(2着)がラストラン。スプリンターズSの直前、右前脚に屈腱炎を発症し、惜しまれながら引退することとなる。
繁殖としても注目を集めながら、8歳の2月、右トウ骨を骨折するアクシデントに見舞われ、この世を去ってしまう。残された産駒はブロンシェダーム(父ディープインパクト、1勝)しかいないものの、セラフィナイト (2勝)、アルトゥーム(現3勝)らの母となった。ぜひ祖母の名を高める大物の登場を期待したい。