サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ホクトスルタン

【2008年 目黒記念】名優に捧げる渾身のグレイトエスケープ

 菊花賞、天皇賞・春の連覇、宝塚記念とビッグタイトルを手中に収め、日本競馬史に偉大な足跡を刻んだメジロマックイーン。種牡馬としては期待どおりの大物を送り出せなかったが、晩年の傑作にホクトスルタンがいる。牡では堂々の代表格。JRAに在籍した最後の直仔も同馬だった。

 ひとつ下の半弟にあたるドリームシグナルもシンザン記念に優勝。母ダイイチアピール(その父サンデーサイレンス)は1勝のみに終わったものの、曽祖母が重賞5勝のダイナフェアリー。近親にサマーサスピション、ローゼンカバリーらが名を連ねる名牝系である。

 3歳6月まで美浦に所属し、10戦(2勝)を消化したホクトスルタン。転厩というかたちで引き受けることとなったのは、開業したばかりの庄野靖志調教師だった。こう懐かしそうに出会いを振り返る。

「函館競馬場に入厩する直前、放牧先のビッグレッドファーム明和の坂路コースで乗り味を確かめる機会がありました。それまでの走りもよく知っていましたが、イメージ以上に乗りやすい。それに、なんていい背中なんだろって、驚きましたね」

 担当することとなったのは春内末光厩務員。まったく偶然の巡り合わせなのだが、伊藤雄二厩舎に所属していた時代、母のダイイチアピールを手がけていた。入厩時に春内さんよりこの事実を告げられ、トレーナーも驚いたという。

 復帰緒戦に選ばれたのは、札幌の阿寒湖特別だった。かつてはステイゴールド、マンハッタンカフェ、ファインモーションも、3歳夏にこのレースを制し、その後の飛躍につなげている。楽々と逃げ切り、性能の高さをアピールした。

「当初は手探りな部分も多かったわけですが、以前にもレースに跨り、特徴を知り尽くしている横山典弘騎手の力は大きかった。『この馬はリズム良く走れるかがポイント。心身のバランスが狂って苦しくなると、ゲートが悪くなったり、暴走したりしちゃう。大切に育てていけば、いずれ大きなところを狙える』と、伝えてくれましたよ」

 神戸新聞杯は4着に、菊花賞も6着に粘る。5か月間のリフレッシュを図ると、父らしく晩生の血が騒ぎ出す。サンシャイSは6馬身差のワンサイド勝ち。天皇賞・春も果敢に逃げ、4着に踏み止まった。

「課題は折り合い面。攻め馬ではリラックスしているのに、レースとなれば一所懸命になりすぎるんです。それでも、徐々にレースを覚え、集中力を高めつつありました」

 そして、生涯最高のパフォーマンスを演じた目黒記念へ。これまでになく落ち着いて返し馬を終えると、横山ジョッキーは気合いを付けてハナを奪った。マークされながらも、緩めすぎずに平均ラップを刻んでいく。直線で並びかけられても渋太く脚を伸ばし、2着のアルナスラインをクビ差だけ封じてゴール。展開に恵まれたわけではなく、地力で勝ち取った中身の濃い勝利だった。

 その後も大切に使われたものの、全力を尽くしたダメージはなかなか癒えなかった。6歳時にみなみ北海道S、札幌日経オープンと2着しながら、勝利には届かない。15連敗を喫して障害レースに転向。さらに4戦したところで悲劇が待ち受けていた。左第1指関節を脱臼し、天国へと旅立ってしまう。

 不器用ではあったが、非凡なスタミナやパワーを駆使し、みごとに伝統のG2を勝ち取ったホクトスルタン。輝いた時期は短かったけれど、父マックイーンと同様、愛すべき名優だった。