サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
ユウフヨウホウ
【2001年 中山大障害】大舞台で騒ぐ名ジャンパーの血
平地では6戦し、2回の5着が最高着順だったユウフヨウホウ。デビューにこぎ着けたのは3月の未出走戦であり、伸びる余地をたっぷり残しながら、未勝利戦の終了を待たずに障害練習を開始する。スタミナが豊富な血脈に期待してのことだった。
NHK杯や高松宮杯を制したラグビーボールの産駒。母ユウミロク(その父カツラノハイセイコ)はオークスの2着馬であり、カブトヤマ記念に勝った。繁殖成績も優秀で、同馬はユウセンショウ(目黒記念、ダイヤモンドS)の全弟。しかも、中山グランドジャンプを連覇したゴーカイが半兄にいる。ひとつ下のマイネルユニバースも新潟ジャンプSを2着するなど、障害レースで活躍した。
障害試験は短期間でクリアできた。5着、3着、3着と着実に差を詰め、11月の京都(直線ダート2910m)では待望の初勝利。後続を7馬身も突き放した。牛若丸ジャンプS(3着)、淀ジャンプS(2着)と健闘し、オープンでも通用するメドが立つ。
だが、飛越に危うさもあり、阪神スプリングJ(5着)や4月の阪神(芝3170mを6着)はひと息の内容。秋シーズンを迎えても、秋陽ジュンプS(10着)、京都の直線ダート3760m(3着)と、離されたままでゴールする。
中山大障害は10頭立てとなったが、最低人気(単勝114・7倍)に甘んじた。断然の支持を集めたのはゴーカイである。積極的に好位で運んだ兄と対照的に、縦長の後方を追走。道中で前の4頭が落馬したことにも助けられ、2周目の向正面ではポジションを上げる。徐々に近付いてきた本命馬を目がけ、今村康成騎手は渾身のムチを入れた。ラスト3ハロンはゴーカイを1秒0も上回る39秒3の脚を駆使。みごとに2馬身差を付け、栄光のゴールへと飛び込んだ。
初の重賞勝利をJ・G1で飾ったジョッキーは、こう声を震わせた。
「前半で置かれましたが、スムーズに飛越でき、これなら上位もあると思いました。それでも、あっさり差し切れるなんて。大舞台向きのスタミナがあり、持ち味を存分に発揮できました」
同レースでは、フジノオーとフジノチカラ(1965年春)、ナスノセイランとナスノヒエン(1972年春)以来となる兄弟でのワン・ツー。血統の底力を思い知らさせる結果だった。
年齢的にも若く、さらなる前進は必至かと思われたのだが、以降は2戦続けて落馬。すっかり安定味を欠いてしまう。2度目の中山大障害(7着)は後方のまま。8歳の阪神スプリングJ(12着)まで走り続けたところで、引退が決まった。
ジャンプ界の歴史にしっかりと名を刻んだユウフヨウホウ。結局、2勝しかマークできなかったとはいえ、放ったインパクトはあまりに衝撃的だった。