サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

アドマイヤジュピタ

【2008年 阪神大賞典】長丁場で覚醒する勇猛な天帝

 クロフネ(JCダート、NHKマイルC)、エイシンデピュティ(宝塚記念)、レジネッタ(桜花賞)、サウンドトゥルー(チャンピオンズC、東京大賞典、JBCクラシック)をはじめ、様々なカテゴリーにトップホースを送り出したフレンチデピュティ。なかでも、アドマイヤジュピタは、異彩を放つチャンピオンだった。

 母ジェイズジュエリー(その父リアルシャダイ)は芝のマイルと2200mを勝利。その半姉にプロモーション(クイーンSなど3勝、アドマイヤメインの母)がいる。セレクトセール(当歳)にて4100万円で落札された。

「セリの下見で出会い、父の仔らしい幅がある好馬体が印象に残りました。でも、長距離で出世するなんて、まったく想像できなかった。ダート1400mでデビュー(2歳11月の京都で8着)。あの時点では、ダートの重賞ウイナーを夢見ていたんですよ。父の仔は、内向肢勢が多く、つなぎも立ち気味の傾向にあるのに、この馬はフットワークがとてもしなやか。芝でこそなのは、そんな特徴が生きた結果でしょうね」
 と、管理した友道康夫調教師は思い出を話す。

 3戦目の阪神、芝2000mで初勝利を上げると、オープンでも好走を続け、ゆきやなぎ賞で順当に2勝目をつかんだ。ところが、ここで大きな試練が。右トモの飛節を骨折し、全治1年の診断が下る。通常ならば、現役続行を断念するほどの重症である。社台ホースクリニックにて患部にボルトを埋め込む手術が行なわれ、ノーザンファームのスタッフも懸命に立て直しを図った。

「みごとに復活を遂げ、さらにスケールアップしたのが、あの馬のすごいところ。1年半ぶりの実戦(新潟の芝1800mを勝利)はプラス40キロでしたが、30キロくらいは成長分。待ち望んだレースを勝てて、喜びは格別でしたね。続く美作特別がクビ差の2着に終わったのは、中間に新潟へ輸送しながら、インフルエンザで開催が中止になった影響。ずっとイライラしていて、力を出し切れなかった。その後は精神的にも落ち着きを増し、鳴滝特別を快勝。後続に5馬身もの差を付け、これは底知れないと思わせました」

 そして、初となる重賞のアルゼンチン共和国杯へ。離れた2番手で流れに乗り、満を持してスパート。並み居る強豪を従え、悠々とゴールに飛び込んだ。

「期待以上の強さでした。折り合いが付くし、長く脚を使えるのが特徴。あの時点で、翌春の天皇賞・春を意識していましたよ」

 あえて有馬記念をパス。日経新春杯は期待を裏切った(4着)ものの、余力を残しすぎて明らかに太めだった。阪神大賞典でも、2日続けて坂路で時計を出し、レース前日にも15-15を消化するなど、決して万全のデキではなかった。それでも、2番手で流れに乗り、メンバー中で最速の上がり(3ハロン34秒7)を駆使。4番人気(単勝7・5倍)の評価を覆し、後続に2馬身半も差を広げた。

「日経新春杯は、雪の影響で調整しにくい状況。当日に馬場が渋ったのも痛かったですね。初めての3000m、58キロの斤量に不安もありましたが、難なく克服。頭が良く、乗り手と上手にコミュニケーションをはかれました。もうひと伸びしたあたりは、豊富なスタミナの証明です。さらに距離が延びても大丈夫だと自信を深めました」

 理想的なステップを経て、いよいよ大目標だった淀の3200mに挑む。ところが、痛恨の出遅れ。前半はじっくり脚をため、2周目の3コーナーより外を回して進出を開始した。坂の下りで勢いが付き、直線は早めに先頭。いったん2馬身ほどリードを広げる。そこへ、脚を温存していた2着のメイショウサムソンが急追。しかし、闘争心は途切れなかった。ラストで再び右手前に替えて踏み止まり、アタマ差のリードを保ったまま、堂々と栄冠を手にした。

 いまや実力派の地位を確固たるものにしている友道師だが、これが初となるG1のタイトル。レース後、こらえきれずに涙した姿が忘れられない。

 秋以降も活躍が期待された勇猛なジュピタ(ローマ神話の天帝)だったが、体調は本物に戻らず、京都大賞典では9着に惨敗。右前に浅屈腱炎を発症していたことが判明し、引退が発表された。スタリオン入り後は受胎率の低さに泣かされ、わずか1シーズンで乗馬に転用となった。

 あっという間に駆け抜けた競走生活。それでも、示したパフォーマンスはあまりに鮮烈であり、同馬ならではの魅力にあふれていた。