サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ショウナンマイティ

【2012年 大阪杯】歴史的な名馬に迫った強靭な爆発力

 安定したアベレージを残し、コーフィールドC(アドマイヤラクティ)、桜花賞(レッツゴードンキ)など、順調にタイトルを手にしてきた梅田智之調教師。初となる重賞ウイナーに輝き、厩舎の礎を築いたのはショウナンマイティだった。

「マンハッタンカフェ産駒らしく、枝が長い伸びやかなスタイル。HBAセレクションセール(1歳、1200万円にて落札)で出会った当初より、身のこなしも柔軟でしたよ。かなり上を目指せる器だと見込んでいました」

 母はスピード色が強いアメリカ産のラグジャリー(その父ストームキャット、未出走)だが、その兄姉には重賞ウイナーとなったハンブルエイトやサディークイルなどがいる。英オークスや愛ダービーの覇者、バラシーンを輩出しているファミリーであり、底力にも富む。

「クローバーファームでの中期育成を経て、ノーザンファーム空港での調整もスムーズに進行しました。ただ、2歳5月の入厩時に輸送熱を発症。4、5日で乗り始めることができましたが、体質が弱かったのに加え、テンションも半端じゃなくて。しばらくはロンギ場を回してから騎乗していましたね。それでも、調教の反応は桁違い。ソエを抱え、トモにも筋肉が付き切っていなかったデビュー前、坂路で追ったら、ラスト11秒台をマークしましたから」

 阪神の芝1800mを余裕の差し切り。萩Sも連勝し、一躍、クラシック候補に躍り出た。ラジオNIKKEI杯2歳S(8着)以降は折り合いの難しさに邪魔され、若駒S(3着)、弥生賞(4着)、青葉賞(5着)と4連敗を喫したが、陣営は類稀な能力を信じ、前に馬を置いて我慢させる訓練を積み重ねていった。

 出遅れを跳ね除け、3歳夏のポプラSでは久々に勝利。菊花賞(8着)へも駒を進める。その後は2着を続けていたとはいえ、鳴尾記念はクビ差、大阪城Sもハナ差。着実な進歩を示した。

 そして、大阪杯を大外一気に突き抜け、ついに重賞ウイナーの仲間入りを果たす。繰り出した上がりは、レースのラスト3ハロンを1秒0も凌ぐ34秒3。圧巻の内容だった。

「3歳時のように、運動中もしきりに立ち上がることがなくなり、だいぶ我慢を覚えてきましたね。追い込むスタイルは同じでも、行きたいところで動けず、抑えるべきところで行きたがった過去とは違う。ポンとスタートしてすっと控え、鞍上と息を合わせて加速できるように。背が伸び、緩さが薄れ、身体も完成の域に入ってきました」

 安田記念を目指したものの、不運にも出走順位は次点だった。急遽、鳴尾記念へ向かい、2着に惜敗。宝塚記念(3着)でも、最後方より懸命に脚を伸ばす。だが、ダメージは大きく、7か月半も実戦から遠ざかった。

「もともと負担がかかりやすい肢勢。荒れた馬場が堪えました。2か月くらい乗れない期間を乗り越え、年末に帰厩しましたが、しっかり鍛えるというより、脚元に配慮した仕上げで復帰させました。京都記念は折り合いを欠いたのがすべて。3着に踏みとどまり、能力を再確認させられましたよ」

 大阪杯では2着に敗れたとはいえ、メンバー中で最速となる豪脚を駆使し、オルフェーヴルに半馬身差まで迫った。出遅れを跳ね除け、安田記念もわずかクビ差。勝ったロードカナロアをコンマ5秒も凌ぐ32秒8の切れを爆発させている。

 ただし、疲労の回復には時間を要した。大切にステップを踏み、6歳時の安田記念も3着に食い込んだが、左前肢を複数個所の骨折。1年半の休養を乗り越え、アメリカJCCで復帰しながら、レース中に繋靱帯を不全断裂し、競走を中止した。

 結局、G1(大阪杯がG1へ昇格したのは2017年)に手が届かなかったショウナンマイティ。10時間に及ぶ手術が施され、種牡馬入りを目指したが、療養中に症状が悪化し、天国へ旅立ったのが残念でならない。それでも、続々と名馬が登場した時期にあって、圧倒的な爆発力で主役に迫った姿は、いまでも新鮮な驚きを伴って蘇ってくる。未来に語り継ぎたいバイプレーヤーといえよう。