サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

シルクフォーチュン

【2012年 カペラステークス】空前絶後の末脚で幸運を運ぶ天才肌

 勝ち上がるのに5戦を要したとはいえ、早くから一瞬の脚を垣間見せていたシルクフォーチュン。エスポワールシチーやスマートファルコンなど、砂路線にスターを送っているゴールドアリュールが父。母シルクエスペランサ(その父アルワウーシュ)はダート1400mで3勝をマークした。デイリー杯2歳Sに勝ったシルクブラボーが叔父にあたり、スピード色が濃い血脈である。

 2歳の8月、小倉の芝1200m(5着)でデビューすると、3コーナーから強引に動き、先頭に並びかけるシーンがあった。当時はゲートが苦手なうえ、スプリンターとは思えない細身のスタイル。ダート1800mに矛先を向け、12月の阪神では逃げ切りを決める。

 ただし、折り合いに難しさがあり、昇級すると壁を感じさせた。今度はダート1400mでの追い込み策を試し、3月の阪神を2着する。その直後の調教中に故障。13か月ものブランクを挟むことになった。

 同馬を手掛けたのはキャリア40年のベテランであり、タイギャラントやスカーレットベルをはじめ、数々の強豪を育てた長(ながい)孝昭厩務員。こう感慨深げに進歩の過程を振り返る。

「左トモを亀裂骨折。競走能力を喪失する寸前の重傷でね。脚にはボルトが埋め込まれたまま。無事に帰ってきただけで感激したなぁ。オープンに昇級するまでに掲示板を外したのは、激しく行きたがった飛梅賞(12着)と、内に包まれた復帰緒戦(6着)しかない。もともと素質はあったし、ゆっくり休ませたことが結果的には成長につながった」

 4歳5月の京都で500万下を卒業。翌月の1000万に続き、出石特別も連勝する。その走りは常識を覆すものだった。ダートではまず目にできない34秒1の上がり。レースのラスト3ハロンが35秒7なのだから、他馬が止まって見えたのも当然だった。夏場のリフレッシュを経て、中山オータムプレミアムも大外一気に突き抜けた。

「外見は変わらなくても、ずいぶん丈夫になったよ。以前はレースの反動に気を遣ったのに、短期間で癒えるようになった。それでも、ここまで急激に変わるとはね。普段は大人しくて扱いやすいが、気持ちの入り方が極端。レースでは一気に燃え、ハミがかかったら止まらない。そんな特徴に、最適のパターンが見出せたんだ」

 だが、武蔵野S(7着)以降は5連敗。ぐっと相手が強化されたうえ、どうしても流れに左右されてしまう。プロキオンSでは単勝44・8倍の9番人気まで評価を下げていたが、最後方の位置取りでも1000m通過が57秒5のハイペース。次位を1秒3も凌ぐラスト34秒9の決め手を爆発させ、ゴールでは2馬身半もの差を広げる快勝を収めた。

 なかなか展開がはまらなくても、5歳秋も南部杯(当年は東京で施行)を3着するなど、着々と地力強化されていった。年明けの根岸Sでは2つ目のタイトルを奪取する。

 ゆっくりゲートを出て、いつも通りに脚を温存。直線ですっと外へ持ち出すと、痛快な逆転劇が始まった。他馬が懸命に抵抗しても、勢いは桁違い。ゴールに向け、12秒1、11秒8、12秒2というラップが刻まれたなか、それを1秒2も上回る豪脚(34秒9)を繰り出し、1馬身半の決定的な差を付けた。

 フェブラリーSでも堂々の2着に食い込み、改めて非凡な才能をアピール。かしわ記念(6着)、プロキオンS(5着)でも見せ場をつくる。しかし、武蔵野S(11着)は、しきりに行きたがり、自慢の末脚が不発。レーススタイルを組み立て直すべく、スプリント戦のカペラSに照準を定めた。

 はるか後方の位置取りながら、テンの3ハロンで34秒2のハイラップが刻まれる絶好の流れ。大外を回りながら、余裕の手応えで直線に向く。一気に馬群をひと飲み。レースの上がりが36秒6だったのに対し、同馬は35秒3の切れを炸裂させ、きっちりと差し切った。

 これが初の騎乗となった横山典弘騎手も、驚きを隠そうとしなかった。
「スタートで立ち上がらないように注意して、馬のリズムを崩さないように走らせたまで。すごいの一言だよ。この馬の走りは何度も見ていたけれど、こんな破壊力があるなんて」

 空前絶後のシャーブな伸びでフォーチュン(富、幸運)を手にした天才肌にとって、結局、これが最後の勝利となったが、その後も9歳時のフェブラリーS(15着)まで16戦を消化し、7戦が5着以内。多くのファンに愛された競走生活だった。