サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

シルクメビウス

【2009年 ユニコーンステークス】天賦の英知と情熱が場宿された栄光のゴール

 2歳8月には函館(芝1800mを4着)でデビューしたシルクメビウス。3戦目の阪神でダート1400mを試し、2着を確保すると、続く同条件を順当に勝利する。昇級後もコンスタントに使われ、4着、3着と前進した。

 くすのき賞は5馬身差の圧勝を収める。このレースよりコンビを組んだのが田中博康騎手(現調教師)。トレーナーへの転身後、着々と頭角を現しつつある知性派のホースマンにとっても、生涯忘れられない巡り会いとなった。同馬の才能を一気に花開かせるきっかけをつかむ。

 2か月半のリフレッシュを経て、端午Sへ。中団から楽な手応えで進出し、あっさり抜け出した。すっかり気が合うパートナーとなっていた鞍上も、非凡なポテンシャルを称える。

「小倉で乗って以来、この馬で重賞を獲りたいと意識していたんです。折り合いの難しさをクリアできれば、久々でも、オープンでも通用する自信がありましたよ。少し窮屈になっても、勝負根性がすばらしい。力強く突き進んでくれましたね」

 ユニコーンSでは念願がかない、ジョッキーに初のタイトルをプレゼントする。前半は後方で脚をためていたが、直線で外へ導くと、目覚ましい勢いで馬群をひと飲み。後続に2馬身の差を付ける完勝だった。

 領家政蔵厩舎にて仕上げに携わった服部剛史調教助手(元騎手)は、こう類まれな個性を説明してくれる。

「スマートな体型なのに、回転が速く、パワーも兼備しています。気の強さが半端じゃなく、軌道に乗るのに少し時間が必要でしたし、あの当時も輸送で体を減らしたり、引っかかったり。それでも、精神的な激しさが強烈な末脚を生み出す源なんでしょう」

 ドバイシーマクラシックや香港ヴァーズを制した底力を伝え、種牡馬として大成功したステイゴールドの産駒。母チャンネルワン(その父ポリッシュネイビー、地方で未勝利)はダート色が強いファミリーだが、父らしい柔軟性も受け継いだ。同馬の全弟に中京記念など芝で8勝したウインガニオンがいる。馬名はアウグスト・フェルディナント・メビウス(ドイツの数学者、天文学者)より。天賦の才能に恵まれたうえ、鍛えても筋肉が硬くならず、さらに強靭さを増していった。

 ジャパンダートダービーは2着。レパードS(5着に入線も10着へ降着)、武蔵野S(8着)と苦戦したものの、トパーズSを楽に差し切り、ジャパンCダート(2着)でも豪快な伸び脚を炸裂させた。4歳時に完成期を迎え、東海Sで重賞2勝目をマークする。

「前走(アンタレスSを5着)は、馬を信じ切れず、外から動いてしまって。位置取りはいつも通り後方でも、ゲートを五分に出てくれ、勝負どころでも持ったままの手応え。慌てずに脚をためることができましたよ。厩舎スタッフが丁寧に仕上げた成果。馬も成長しています」(田中博康騎手)

 次のターゲットはブリーダーズGC。ここでも末脚勝負に徹し、直線で一気の逆転劇を演じる。断然人気に推された2着のカネヒキリに4馬身差を付ける完勝だった。

 以降もJBCクラシック(4着)、ジャパンCダート(5着)、東京大賞典(5着)などで見せ場をつくったが、翌春の東海S(3着)がJRAでのラストランとなった。靭帯に炎症を発症してしまい、長期のブランク。ホッカイドウ競馬に転出し、7歳になって復活の勝利を挙げたものの、本来の輝きを取り戻せずに現役を退いた。

 思いのほか全盛期は短かったとはいえ、あり余るパッションをゴールへと凝縮させたシルクメビウス。鮮烈なパフォーマンスは、いまでも関係者ばかりでなく、ファンの目にもはっきりと焼き付いている。