サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

シンボリクリスエス

【2003年 天皇賞・秋】強靭さと瞬発力を兼ね備えた真の王者

 プライズド(ブリーダーズC・ターフ)、クリスキン(英ダービー)など幾多の優駿を輩出したクリスエス。その名を日本で高めた逸材がシンボリクリスエスだった。

 数より質にこだわり、選ばれた素材を英才教育で磨くことにこだわったシンボリ牧場にとって、スピードシンボリやシンボリルドルフに続くチャンピオンホース。ただし、同馬はアメリカ生まれであり、ミルリッジファームに預託されていたティーケイ(その父ゴールドマリディアン、ターフのG3・マーサワシントンSなど米6勝)が母である。

 輸入後も順調に成長曲線を描き、2歳10月、東京の芝1600mに登場。当時は一杯に追われたことがなく、明らかに先を見据えた仕上げだったが、2馬身ほど出遅れながら、豪快な差し切りを演じた。

 年明けのセントポーリア賞より再スタート。クビ差の2着に惜敗する。ゆりかもめ賞(3着)、東京の芝1800m(3着)も位置取りの差に泣き、あと一歩で勝ち切れなかったものの、いずれもメンバー中で最速の上りを駆使している。

 スタートが決まった山吹賞では、早めに動いて順当勝ち。青葉賞もインを付いて決め脚を爆発させた。丁寧に競馬を教え込んだ成果が表れ、2馬身半差の危なげない内容だった。

 晴れて駒を進めたダービー。スローに流れるなか、懸命に折り合いを付ける。直線でもしっかり伸びたが、タニノギムレットの強襲に屈した。ほろ苦くも、さらなる飛躍を予感させる2着だった。

 夏場のリフレッシュを経て、ますます充実。神戸新聞杯を楽々と突破すると、菊花賞ではなく、天皇賞・秋に照準を定めた。欧米と比べ、古馬との力差が埋まるのが遅いとされるのにもかかわらず、堂々の優勝。この年は東京競馬場の改修工事に伴い、直線の短い中山で行われたのだが、直線でみごとに馬群を割って見せた。

 手綱を取った岡部幸雄騎手(当時は53歳。05年に引退)にとって、最後となるG1の勲章となる。ジョッキーもこう満足げに笑顔を浮かべた。

「いままでにないハード調教を課しても、十分に耐えられる体力が備わってきた。ダービーの経験が生き、この喧噪だって我慢できたしね。過去最高のロケットスタート。インの荒れたところを通っても、まったく平気だった。4コーナーで外から他馬が動いたけど、手応えは十分にあったし、前さえ開けば伸びてくれると信じていた」

 続くジャパンC(中山の芝2200mで施行)は出遅れが響き、ハナ+クビ差の3着。この一戦よりバトンを受けたオリビエ・ペリエ騎手は、有馬記念での雪辱に燃える。そして、レースの上りを1秒2も上回るラスト34秒6の末脚を炸裂させ、劇的な逆転劇を演じた。

 4歳時の上半期は宝塚記念(5着)のみにとどめ、再び天皇賞・秋へ。馬は完成の域に入っていた。一段と筋肉が張り出し、漆黒の馬体は前走時と比べものにならないほどの輝き。気合い乗りも抜群だった。最大の難題は、府中の2000mでは6馬身程度も不利とされる18番枠を引き当ててしまったことだった。

 それでも、前半からハイラップが刻まれ、縦長に延びた隊列の中団を楽々と追走。3コーナーすぎでは内目に進路を取り、直線はスペースを縫うように力強く突き進む。ゴール前では後方一気に賭けたツルマルボーイが迫ってきたとはいえ、影を踏ませずに1馬身半差の完勝。タイムは1分58秒0のレコードだった。

「自分のキャリアでは、パントレセレブル(凱旋門賞などG1を3勝)に匹敵するスーパーホース。馬に乗っているというより、空を飛んでいるみたいだった」
 と、ペリエ騎手は振り返る。

 種牡馬入り後も安定した成績を残し、サクセスブロッケン(フェブラリーSなどG1級を3勝)、ストロングリターン(安田記念)、アルフレード(朝日杯FS)らに続き、最高傑作となるエピファネイア(菊花賞、ジャパンC)が登場。2019年に種付けを終了し、翌年にこの世を去ったが、この先もサイアーラインは豪華に発展していくことだろう。