サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ジョーカプチーノ

【2009年 NHKマイルカップ】若き名手を後押しした重厚なスピード

 落馬事故に見舞われた藤岡康太騎手が2024年4月、この世を去った。享年35歳。謹んで哀悼の意を表したい。

 2007年、初騎乗・初勝利を達成して華々しいスタートを切った藤岡騎手。誰もが憧れるG1ジョッキーになったのも早く、2009年のNHKマイルCを制している。その後の飛躍を後押しした騎乗馬はジョーカプチーノだった。

 1999年の開業以来、JRA通算654勝を積み上げ、手にした重賞のタイトルも26まで伸ばしている中竹和也調教師にとっても、初となる栄光をもたらし、さらにG1も勝ち取ったジョーカプチーノは、生涯忘れられない一頭である。

 様々なカテゴリーに活躍馬を送り、09年にリーディングサイアーを獲得したマンハッタンカフェの産駒。母は1勝のみに終わったジョープシケ(その父フサイチコンコルド)であり、祖母のジョーユーチャリス(1勝)、曾祖母ジョーバブーン(7勝)と連なる「ジョー一族」の4代目となる。地味なファミリーではあるものの、中竹調教師は若駒当時より非凡な才能を感じ取っていた。

「BTC(北海道浦河にある軽種馬育成調教センター)の山口ステーブルでの育成中、追い切りに跨ったことがありました。父はサンデーサイレンス系でも、骨量が豊か。当時も抜けたスピードを感じさせましたが、乗り味は前輪駆動。明らかなダートタイプに思えましたよ」

 2歳の9月、札幌のダート1700mでデビュー(2着)。2戦目も4着に終わったが、当時はソエが痛かった。ひと息入れ、暮れの阪神(ダート1400m、2着)より再スタート。続く中京(ダート1700m)で初勝利をつかんだ。

「このころになると、だいぶ後躯の推進力が強化されてきましたね。これならば、むしろ芝がいいだろうと。ところが、初の芝だったクロッカスS(7着)はかかりっぱなし。正直すぎるくらいの性格で、前に馬がいたら、夢中になって追いかけてしまう。精神面の繊細さが目立ち、いい状態に仕上がったと思っても、いざ当日となると一気に体重を減らしてしまう傾向にもありました。無理に抑えることを憶えさせるのではなく、長所を生かしながら育てていきたかった」

 芝1200mの萌黄賞で2勝目をマーク。すっかりリズムに乗り、ファルコンSへと駒を進めた。出負けしたうえ、他馬と接触するシーンもあったが、折り合いはスムーズ。直線で外へ導かれると、きっちり差し切りが決まった。

「もちろん、勢いよく伸びてきたのも、ゴール寸前で先頭に立ったのもわかりましたが、気持ちは直線手前で止まったままでしたからね。ともに送り出したキングスレガリアが競走を中止(左第一趾骨を粉砕骨折)。そのことで頭がいっぱいで。大きく深呼吸し、起こった事態を整理してから、検量室前へと足を向けたんです」

 高い素質を見込んだ愛馬を突然の事故で失った悲しみは深かったが、プロとして馬と向き合っている以上、それを埋めるのは管理馬の活躍しかない。キングスレガリアへの思いも背負い、ジョーカプチーノは大きく羽ばたいた。

 早め先頭から食い下がり、ニュージーランドTでも3着に健闘。そして、NHKマイルCではついにG1ウイナーに登り詰める。離れた2番手を追走。高速馬場を味方につけ、直線で抜け出してからも勢いは衰えない。後続に2馬身差を広げる完勝。みごとに10番人気(単勝39・8倍)の低評価を覆した。

「康太くんを褒めてあげたい。一度は乗り代わりも考えた(依頼していた最終追い切りに遅刻)のですが、『スタッフに迷惑をかけたんだから、なんとしても結果を出してこい。そうしたら、みんなが許してくれるから。位置はどこでもいい、とにかく折り合いにだけ専念してほしい』と励ましたんです」
 と、トレーナーは満面の笑みを浮かべた。

 だが、過酷な不良馬場となったダービー(18着)を懸命に逃げた反動は大きかった。トモの筋肉に蓄積した疲れが抜け切らず、もともともろかった両前の蹄壁が伸びるのを待つ必要もあり、1年5か月もの長い沈黙を経る。

「ようやく不安を乗り越えて、4歳春にいったん帰厩したのですが、今度は左前の深管に骨瘤が出てしまって。調整する過程で、また爪もぼろぼろに。馬もこちらも、我慢するつらさを味わいました」

 再び輝きを放ち出したのが、4歳秋のスワンSだった。息の入らないラップを刻みながら、直線も差し返す渋太さを発揮。3着でゴールした。

「使っていい方向へ変ってほしいと、攻め切れない状況で送り出したのに、底力を再認識。歯を食いしばってがんばってくれ、涙が出そうになりましたね。結果的に長いブランクがプラスに働き、成長がはっきり。体重が40キロ近く増えても、決して太くはなかった。見違えるようにたくましくなり、骨格にふさわしい筋肉が備わりつつありました」

 レコードタイムでの決着となったマイルチャンピオンSでは9着まで後退したとはいえ、5ハロン通過が56秒7という激流を自ら演出してのこと。むしろ、オーバーペースとは見えないくらいに、楽々とハナを切った速力に注目すべきだった。

「当初は中2週でラピスラズリS(1着)に進ませる選択肢はなかったのですが、回復力は驚異的に思えるほど。しかも、過度の負担がかからないかたちで賞金を加算できた。一段と肩や腰の張りを増してきましたよ。ただ、性格的にもスプリント色が濃くなり、張り詰めてピリピリしたまま。どこかで息抜きしたかった。京都金杯に登録したのはハンデを確認したかったためです。シルクロードSも許容範囲の58キロと読んで出走を決めました」

 シルクロードSは出遅れ、中団に控える想定外の展開に。ところが、イメージを覆す末脚を駆使し、大外一気に突き抜ける。上がり3ハロンは32秒6の鋭さだった。

「ファルコンSも追い込んで勝ちましたが、あれは偶然の位置取りに助けられたもの。ジョッキーの指示を守って抑えが利き、まったく内容が違います。ようやく完成された実感がありました」

 しかし、大目標の高松宮記念は3コーナーで不利を受け、10着まで後退。京王杯スプリングC(3着)や安田記念(5着)でも崩れなかったが、キーンランドCは暑さが堪えて9着に終わる。

 スワンSで2着に反撃して以降、徐々に本来の闘争心を失っていく。京阪杯(6着)、オーシャンS(5着)、高松宮記念(11着)、京王杯スプリングC(11着)と再起はかなわず、引退が決まった。

 優駿スタリオンステーションで種牡馬入り。ジョーストリクトリ(ニュージーランドT)、ナムラリコリス(函館2歳S)らを送り出している。年々、産駒は減少傾向にあるが、きっと天国で康太騎手も応援しているはず。晩年の傑作が登場しても不思議はない。