サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

サンライズマックス

【2007年 中日新聞杯】名手を興奮させたマックスの瞬発力

 4戦目の未勝利(3歳1月の京都、芝2000m)で初勝利を挙げると、若葉Sを2着して皐月賞(13着)にも駒を進めたサンライズマックス。管理したのは、2013年に逝去するまで馬ひとすじに歩み、数々の名馬を育てた増本豊調教師である。晩年の傑作について、こう若駒時代を話していた。

「ステイゴールド産駒らしく、手先が軽いうえに身のこなしも柔らかい。母(グリーンヒルマック)はダンシングブレーヴの肌だからね。底力も見込んでいた。ただ、デビュー当初はゲート内でもあっちこっちに気が向いたままで、みんなが走り出すと、それに釣られてスタートする感じだった。幼稚園の運動会で、そんな子供がいるでしょ」

 夏場にゆっくり休養させたことで、細かった飼い食いも安定。ぐっとたくましくなり、無理せずに好タイムが出るようになった。一気の快進撃が始まる。10月の500万下(京都の芝2000m)を快勝。続く北野特別を鮮やかに差し切ったときは、鞍上の池添謙一騎手がG1レースなみの派手なガッツポーズを決めた。

 そして、中日新聞杯へ格上挑戦。出遅れて後方の位置取りとなったが、直線で外に持ち出すと、抜群の瞬発力を駆使し、あっさりとタイトルを奪取する。ゴール前でミルコ・デムーロ騎手も手放し(両腕を水平に伸ばす飛行機ポーズ。過怠金のペナルティーが課せられた)で祝福した。驚くべき瞬発力。ジョッキーに強いインパクトを与えるキャラクターだった。

「だんだんすべきことを覚えてきたが、性格的な特徴はそう簡単には変わらない。調教でエネルギーを発散すれば、どんな馬でも大人しくなるものなのに、クーリングダウン中はなんぼでも曲がってくねくね歩く。あんな賑やかな馬は見たことがないよ。厩の引き戸は常に閉めっぱなし。なにかしたくて、じっとしていられないから、馬栓棒もできないんだ。くぐったり、跨いだりしかねないもの。手入れや装鞍なんて、毎回、大騒ぎや。でも、くせは出すのはいいこと。元気な証拠だもの。扱う者はしんどいけど、慣れるしかなかった」

 目がぱっちりした、うっとりするような美形なのだが、やることはきつい。そんな気性が爆発力の源だった。息長く活躍させることで定評があったステーブルだけに、あせらずに態勢を整え直し、翌春は大阪杯(10着)より始動。ゲートで立ち上がり、末脚は不発に終わった。新潟大賞典(8着)でも前が壁になり、追えずにゴールする。

 再び輝きを取り戻したのがエプソムCだった。エンジンがかかってからの伸び脚は桁違い。初騎乗だった横山典弘騎手にとって、JRA通算100勝目となるグレードレースの優勝だった。
 4歳秋の毎日王冠は14着に沈んだが、4か月間のリフレッシュを経て小倉大賞典へ。最内にこだわり、ロスなく運び、わずかに開けたスペースを一気に割る。すっかり気が合うパートナーとなった横山ジョッキーは、これが小倉での初重賞の勲章。興奮気味に喜びを語った。

「すべて思い描いた通り。生まれ持った才能とデキが噛み合った結果だよ。うまく乗れ、忘れられない勝利になった」

 その後も天皇賞・春(4着)、アルゼンチン共和国杯(4着)、日経新春杯(4着)、中日新聞杯(4着)、小倉日経オープン(2着)などで見せ場をつくったものの、追い出しのタイミングに難しさが残り、16連敗を喫してしまう。7歳暮れの中日新聞杯(16着)がラストラン。しなやかでありながら、強靭な筋肉を備えた天才少年は、結局、大人になりきれずにターフを去った。

 乗馬として静かに余生を送っているサンライズマックス。いまでも若々しいままに違いない。