サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

サンライズバッカス

【2007年 フェブラリーステークス】熟練の技と猛々しき魂が融合したグレートヴィンテージ

 地方・笠松でも圧倒的な成績を残したうえ、2003年にJRAへ移って以来、G1レース22勝という偉大な記録を打ち立てた安藤勝己騎手。その足跡を年度別に振り返れば、ダイワスカーレットでの牝馬2冠をはじめ、G1を6勝した2007年が黄金期にあたる。年齢(当時46歳)を考えて騎乗数をセーブしはじめてはいたが、心身のバランスがぴたりと噛み合っていたタイミングなのだろう。136勝を量産。しかも、勝率23・8パーセントという驚異的なアベレージである。

 珠玉のゴールは数々あるが、同年のフェブラリーSのことを忘れてはならない。激戦を戦い抜いた直後、名手も「いい仕事ができた」と満足げに微笑んだ。パートナーは、才能が豊かな反面、激しい気性の持ち主であり、乗り難しさが付きまとったサンライズバッカスだった。

 芝での4戦を経て、3歳春の福島(ダート1700m)で初勝利。勢いは止まることを知らず、8月の小倉・阿蘇Sまで一気の4連勝を飾った。この世代のターフは日本競馬の至宝、ディープインパクト産駒が席巻。一方の砂戦線も高いレベルに有力どころがずらりと顔を揃えていた。同期には晩生の大物、ヴァーミリアンもいるが、まず待ち受けていたのがカネヒキリ。盛岡のダービークランプリでは2馬身半差の2着に退けられる。ただし、同馬の充実も著しく、続く武蔵野Sではみごとにリベンジを果たした。

 ところが、JCダート(5着)を境に、意外な足踏み。4歳時のフェブラリーS(12着)ではカネヒキリに1秒7も突き放されてしまう。マーチS(スタートで躓き8着)を経て、7か月間の休養へ。フレッシュな状態を取り戻し、武蔵野S(2着)より再スタートを切る。

 新たに安藤勝己騎手とコンビを組むことになったのがJCダート(5着)。平安S(アタマ差の2着)でも連敗にピリオドを打てなかったものの、きっかけをつかめたことは明らかだった。相変わらず出遅れるのが常とはいえ、終いは確実に伸びてくる。そして、念願のG1制覇へ、いよいよ機が熟した。

 やはりスタートでは遅れを取ったが、安藤ジョッキーはぐいとひと押しして、10番手あたりに取り付く。脚抜きのいい馬場(不良)のなか、先行グループはペースを緩めない。1000m通過が58秒9。前が止ると見て、ブルーコンコルド(2着)、シーキングザダイヤ(9着)といった人気勢も直線勝負に賭ける。それでも、勝負どころでの反応は一頭だけ抜けていた。迷わずに大外へ持ち出すと、瞬時に抜け出す。ラスト1ハロンでは早くも先頭。そのまま余裕の脚色で、1馬身半のリードを保ったままフィニッシュした。

「いままでより行きっぷりが良かったからね。小細工するつもりはなかった。馬の気持ちに合わせ、スムーズに走れた結果だよ」(安藤騎手)

 頭はクールでありながら、熱いハートを併せ持っている人ならでは語り口。なぜここ一番で強いのか、秘密を垣間見たように感じた。しみじみと美酒(バッカスとはローマ神話の酒神)に酔ったに違いない。

 さらなる飛躍が期待されたサンライズバッカスだったが、蹄に弱点を抱えていたこともあり、結局、同レースが唯一のビッグタイトルとなった。7歳時のエルムS(12着)を最後に地方へ移籍。高いポテンシャルを有しながらも、苦難の道程が続いた。8歳で競走生活を終えるまでに20連敗を喫する。

 だが、2007年フェブラリーSで示したパフォーマンスは決して色褪せない。記録より記憶に残る個性的なチャンピオンだった。