サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
アドマイヤコジーン
【2002年 東京新聞杯】粘り強く復活を遂げたブレードランナー
アルファベットスープやティッカネンなどを輩出し、北米リーディングサイアーに輝いたコジーン。息の入らないペースで持ち味を発揮する産駒が多い。
日本での成功例といえば、アドマイヤコジーンの名が真っ先に挙がる。母アドマイヤマカディ(その父ノーザンテースト)は不出走だが、祖母のミスマカディーが英1000ギニーの覇者という筋が通ったファミリ―である。
2歳10月の京都(芝1400m)で迎えたデビュー戦は3着に敗れたものの、大きく出遅れる不利があってのこと。続く未勝利(京都の芝1600m)を9馬身差で楽勝した。いきなり挑んだ高いハードルも難なく乗り越え、東京スポーツ杯3歳S(当時)も危なげなく抜け出す。
同世代では抜けたスピードを誇っていたうえ、末脚も確か。朝日杯3歳Sはクビ差の辛勝だったとはいえ、好位で流れに乗った2着のエイシンキャメロンを強靭な破壊力でねじ伏せる文句なしの内容だった。1998年のJRA賞最優秀3歳牡馬に選出される。
しかし、右後脚を骨折する不運が。患部をボルトで固定し、回復を待った。復帰を目指す過程で、今度は左トモも骨折。結局、1年7か月も沈黙することとなる。
UHB杯(4着)で再スタートしたが、なかなか本来の姿を取り戻せない。5歳シーズンを迎え、阪急杯(3着)や福島民報杯(クビ差の2着)で復調を感じさせたが、屈辱の12連敗を喫してしまった。
すっかり早熟のイメージが定着したなか、新たにバトンを託されたのが後藤浩輝騎手だった。鞍上のファイトが伝わり、走りは一変する。10番人気にすぎなかった東京新聞杯を早め先頭から押し切った。数々の名馬を育ててきた橋田満調教師も、感動を隠そうとしなかった。
「こんな喜びは滅多に味わえない。重度の骨折に見舞われても、あきらめようとは思わなかった。ずいぶん遠回りしたけど、この馬の能力を信じていたからね」
阪急杯も積極策で3馬身半差の鮮やかな勝利。久々にたどり着いたG1・高松宮記念でも2着を死守した。そして、安田記念では同馬の魅力が遺憾なく発揮される。大外枠からスタートとなったが、抜群のダッシュを決め、果敢に先手を奪う。外から迫られても、クビ差のリードを保ったままでゴール。「速いラップが刻まれる過酷なレースとなり、持ち前の辛抱強さや勝負根性が生きた」と、橋田調教師も満面の笑顔を浮かべた。
スプリンターズS(2着)ではビリーヴに敗れたが、着差は半馬身。マイルCS(7着)、香港マイル(4着)と歩み、同年のJRA賞最優秀短距離馬に選出される。
スタリオン入り後も、2006年フレッシュサイアーリーディングのトップに。アストンマーチャン(スプリンターズSなど重賞4勝)、マジンプロスパー(阪急杯、CBC賞2回)、スノードラゴン(スプリンターズS)をはじめ、続々と逸材が登場した。
2015年シーズンで種牡馬を引退。17年には天国へと旅立った。それでも、母父としてウインブライト(香港C、クイーンエリザベス2世C)を送り出しているように、自身の現役時代と同様、今後も粘り強く優秀な遺伝子を後世へ伝えるに違いない。