サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

サマーウインド

【2010年 東京盃】秋夜の祭典に吹き込む熱き疾風

 G1としては史上初となる1000mでスピードが競われた2010年のJBCスプリント。4馬身も後続を置き去りにして、悠々と栄光をつかんだのはサマーウインドだった。久々に3万人以上が詰めかけた船橋競馬場は、地鳴りのような大歓声に包まれた。開業4年目にしてビッグタイトルを手中に収めた庄野靖志調教師は、感慨深げに喜びを噛み締める。

「ダッシュ自体はそう速くないのですが、狙った舞台で最高のスタートが切れました。二の脚の鋭さは超一流です。ハナを切ってからは余裕たっぷりのレース運び。完成されるのに時間がかかり、無事に手元へ戻ってきてくれただけでうれしかったのに、ここまで本格化するなんて。想像を超えた成長力を秘めていました。馬に感謝するしかありません」

 ようやくデビューにこぎ着けたのは、3歳夏の小倉(芝1200m)。ぎこちない走りで14着に敗れたものの、2戦目には一変し、2着に追い込む。出遅れがなければと悔やまれる内容だった。

「日高町の賀張共同育成センターで乗り始めた当初から、雄大な馬格に惹かれましたし、もともと期待は大きかった。ただし、骨質が弱く、順調に乗り込めなかったんです。栗東に移動後も、球節の浮腫みに悩まされましたね。慎重な仕上げでレースに臨みました」
 と、トレーナーは未勝利当時を振り返る。

 脚元への負担に配慮して短期放牧を挟み、阪神に組まれた最終のチャンスに照準を定めたのだが、ここで不運が。レース直前になって両前のヒザを剥離骨折してしまう。JRAの再登録を前提にホッカイドウ競馬へ移籍。依然としてソエ気味ながら、10カ月ぶりとなった門別(ダート1200m)をレコードタイムで初勝利。2戦目にも同タイムで大差勝ちを収めた。あっさりとカムバックの条件をクリアしたのだ。

 同馬の非凡な速力は、父のタイキシャトルからも受け継がれているが、スワンSや京王杯スプリングCをはじめ、7勝をマークした母シンウインド(その父ウエスタンウインド)によるところも大。21歳時に産んだ最後の仔が同馬である。母は8歳(当時)まで現役を続けた。半姉にあたるセトノウインド(4勝)は、4歳12月にようやく勝ち上がった遅咲き。半兄のカゼノコウテイも、地方から転じて準オープンまで出世した晩生の血筋である。

 転入緒戦となった10月の京都(ダート1400mを)も鮮やかに逃げ切り。昇級の壁などなく、円山特別もステッキなしで快勝する。しかも、走破タイムは堂々のレコードだった。後続に5馬身差を付け、初日の出Sも楽々と突破。一気にオープン入りを果たした。

 根岸Sを2着に粘り込み、早々とタイトル奪取にメドを立てた。天王山Sに順当勝ち。プロキオンSは2着だったが、1200mの交流重賞に的を絞り、クラスターCへと駒を進める。単勝1・2倍の断然人気にふさわしいパフォーマンスを演じた。スピードの違いで先手を奪い、終始、余裕の手応え。満を持して追い出されると、後続を2馬身も突き放し、栄光のゴールに飛び込む。タイムは1分8秒9のコースレコード。従来の記録を0秒9も更新した。

 東京盃でも圧倒的な支持(単勝1・3倍)を集め、堂々の主役に。4番手で進出する機会をうかがい、コーナーでスパート。いったんは大きく差を広げる。早めに脚を使ったぶん、ゴール前はヤサカファインに迫られたものの、ハナ差だけ凌ぎ切った。

「最後はヒヤッとしましたが、内容は優秀。すっかり脚元が固まり、一戦ごと攻め馬を強化。ぐんとたくましくなり、充実ぶりは目覚ましかった。周囲を気にしたりする精神的な幼さも薄れましたしね。ジョッキー(藤岡佑介騎手)はJBCスプリントを意識して、テンから出していきました。次につながる競馬です」

 入念に態勢を整え直し、青写真通りにG1の舞台へ。ついに頂上まで登り詰めた。ところが、翌春の高松宮記念(14着)以降、本来の調子を取り戻せず、8歳時のカペラSまで10連敗を喫する。再び表舞台で脚光を浴びることはなかったが、地方に所属を替え、高知で5勝。10歳まで懸命に走り抜いた。

 真面目な努力派でありながら、派手なパフォーマンスを演じたサマーウインド。いつまでも忘れられない名優である。