サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
サクラメガワンダー
【2005年 ラジオたんぱ杯2歳ステークス】繊細ながら光輝あふれるワンダーボーイ
次々とビッグタイトルを手中に収め、日本を代表する地位を固めている友道康夫調教師。ステーブルの礎を築いた思い出の一頭にサクラメガワンダーがいる。トレーナーは、こう感慨深げに振り返る。
「天賦の才能に恵まれながら、それをなかなか発揮できず、本当に歯がゆい思いをしました。こちらも試行錯誤を繰り返してきましたよ。結局は適切な対処策も見当たらなくて、馬の成長を待つしかなかったわけですが」
スクリーンヒーロー(ジャパンC)、アーネストリー(宝塚記念)らを輩出したグラスワンダーが父。母サクラメガはサンデーサイレンスの肌であり、その兄姉にサクラチトセオー(天皇賞・秋)、サクラキャンドル(エリザベス女王杯)ら。同馬の半弟にサクラアンプルール(札幌記念)も名を連ねる名門の血筋である。
全29戦を消化し、重賞4勝を含む7勝をマークしているが、特徴的なのは関西圏(京都、阪神、中京)や滞在競馬となる北海道ではすべてのレースで掲示板を確保しているのに対し、東京や中山となると【0009】。この極端な成績が示すとおり、長距離輸送が大の苦手だった。
「馬運車自体は平気ですが、環境の変化に弱いんですよ。デビュー2戦目の新潟(芝1600mを2着)でも、その予兆はありました。馬房内を逃げ回り、装鞍所の集合時間に遅れそうになったほどでした」
2歳7月に迎えた新馬(阪神の芝1600m)は4着だったが、出遅れが敗因。だが、11月の京都(芝1800m)より再スタートすると、いきなり鮮やかな差し切り。エリカ賞も楽に抜け出し、連勝を決める。クラシックの登竜門となるラジオたんぱ杯2歳Sに駒を進めた。
前半は行きたがるくらいだったが、じっくり控えて中団を追走。直線は前が壁になるシーンもあったとはいえ、手応えは十分にあった。先に抜け出したアドマイヤムーンを目がけ、鋭く伸びる。きっちり捕えてゴールに飛び込んだ。
「一気に未来が拓け、もう大丈夫なのかと思わせた反面、いずれも当日輸送で残した結果でしたからね。トレセンを満足いく状態で出発しても、前日に競馬場へ到着すると不安な気持ちが高まって、飼い葉を口にしてくれない。弥生賞(4着)や皐月賞(6着)の結果を踏まえ、ダービー(10着)のときは木曜日に運び、誘導馬とともにパドックをスクーリングしたりもしたのに、効果はありませんでした」
3歳で臨んだ天皇賞・秋は他馬と接触するシーンもあり、9着に終わったものの、やはり地元では強く、鳴尾記念で2つ目のタイトルを奪取。カシオペアSの1勝のみだった4歳シーズンにしても、札幌記念で3着するなど、実力の片鱗を見せている。
5歳になり、心身の充実は著しかった。宝塚記念で4着に食い込む。毎日王冠(4着)や天皇賞・秋(6着)では、急激な馬体減も見られず、落ち着いて臨めた。
「ひ弱に映った3、4歳時とは、別馬のよう。付くべきところに筋肉が備わってきましたね。普段の仕草からして違ってきました。どっしりとしながらも闘争心を表に出すようになり、運動中などは隙あらば噛み付こうとするくらいになりましたよ」
さらなる飛躍につなげようと、必勝を期したのが08年の鳴尾記念。2年前に制した舞台とはいえ、繰り出した末脚はまったくレベルが異なるものだった。鮮やかに突き抜け、2着に3馬身。これは生涯で最大となる着差となる。
京都記念(クビ差の2着)を経て、金鯱賞を制覇。宝塚記念も2着に健闘する。いよいよG1のタイトルが射程に入ってきたかに思えた。ところが、天皇賞・秋(13着)を走り終え、左前脚に浅屈腱炎を発症する。
「ようやく課題を克服できるメドが立ったところでのリタイア。未完のままで引退したのが無念でなりません」
懸命の治療が続けられたが復帰はかなわず、明け9歳になった時点で引退が決まった。種牡馬となっても繁殖に恵まれず、2014年のシーズン終了後は功労馬に。静かに余生を送っている。それでも、未来に向けて抱いた大望は、同馬の胸に、そして、ファンの記憶にも、少年期のままで生き続けている。