サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
サクラセンチュリー
【2005年 アルゼンチン共和国杯】晩秋に花を咲かせた大樹のつぼみ
タップダンスシチー(ジャパンC、宝塚記念)、アーネストリー(宝塚記念)、キズナ(ダービー)などのトップクラスを擁し、これまで51勝もの重賞タイトルを手にしている佐々木晶三調教師。サクラセンチュリーも、もともと大きなスケールを見込んでいた自信作だった。
驚異的な成長力を見せ、5歳になって天皇賞・春や有馬記念で頂点を極めたうえ、6歳時も天皇賞・春を制したサクラローレルが父。種牡馬としては決して成功したとはいえないものの、初年度産駒よりローマンエンパイア(京成杯)が活躍した。同馬はセカンドシーズンに登場した最高傑作。名門ブランド「サクラ」の本流であり、サクラエイコウオー(弥生賞、七夕賞)の半姉にあたるサクラヒラメキ(その父ノーザンテースト、2勝)が母である。
2歳9月の阪神、芝2000m(4着)でデビューしたが、不運にも骨折を発症。6か月の休養を挟み、復帰3戦目となった阪神(芝2000m)を直線一気に突き抜けた。徐々に出遅れ癖も解消し、売布特別では500万クラスを卒業。3歳後半に急上昇を示し、鳴滝特別、オリオンSと突破する。
メトロポリタンS(8着)や目黒記念(15着)で振るわなかったことを踏まえ、ゆっくりとリフレッシュを図る。準オープンに降級しても2戦を勝ち切れなかったが、果敢に鳴尾記念に挑み、重賞初制覇を飾った。ラスト3ハロン(34秒0)は次位をコンマ4秒も上回る圧倒的なもの。2着にコンマ2秒の差を付ける完勝だった。会心の勝利に、佐々木師も満面の笑みを浮かべる。
「自己条件ではペースが遅くなって持ち味が発揮できない。だから、あえて格上の芝2000mを使ったんだ。出遅れて後方の位置取りとなったが、テッチャン(佐藤哲三騎手)はインをロスなく導いてくれたし、ラストもうまく前が開き、持ち前の決め脚を最大限に生かすことができたね。春当時は輸送すると体が減ってしまい、力を出せなかったが、ひと夏を越えて落ち着きを増した。体質の強化も明らか。ようやく本来の能力を発揮できる下地ができたよ」
いよいよ晩成の血が騒ぎ出した。続く日経新春杯も鮮やかな差し切り。だが、阪神大賞典(4着)後に筋肉痛を起こし、半年間のブランクを経る。
5歳秋は朝日チャレンジC(6着)、京都大賞典(5着)を経て、鬼門の東京へ。アルゼンチン共和国杯に照準を定める。状態は明らかに上向き。体重に関しても、マイナス6キロしか減らなかった。
後方の位置取りは前2走と同じだったが、コーナーでは早めに仕掛けていく。直線に向いてエンジンがかかり、大外からダイナミックな末脚を繰り繰り出した。スローな流れのなか、レースの上りをコンマ8秒も凌ぐ34秒6という圧倒的な鋭さ。ゴール寸前に2着のマーブルチーフをきっちり捕える。着差はクビでも、相手とは2・5キロも重いトップハンデを背負っての勝利。佐藤哲三騎手は、こう声を弾ませた。
「十分に手応えがあり、意識的に動かしていった。久々の左回りだけに、まっすぐ走れるか不安だったけど、難なく課題をクリアしてくれたね。心身ともに完成されてきたよ」
ただし、これが最後の勝利となる。ステイヤーズSは3着に惜敗。京都記念もわずかハナ差の2着に泣く。左前に繋靭帯炎するトラブルに見舞われ、1年10か月もの沈黙を守った。
転厩のうえ、7歳で臨んだ鳴尾記念では悲しい結末が待っていた。靱帯を断裂し、直線で競走を中止。予後不良となった。
結局、満開を迎えずに散った幻の大輪。それでも、アルゼンチン共和国杯での美しいパフォーマンスは、いつまでも決して色あせることはない。