サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
サクセスブロッケン
【2009年 東京大賞典】地道な研鑽が結実した渾身のスーパープレー
東京競馬場の誘導馬となってからも、断然の人気を誇ったサクセスブロッケン。2021年のフェブラリーエスの先導が最後の仕事となり、翌冬にこの世を去ってしまったが、いまでも漆黒の美しい馬体が忘れられない。管理した藤原英昭調教師も、こう深い愛着を寄せる。
「印象深いのは日本ダービー(18着)かな。もともとハンディを背負っていただけに、硬い芝を走れらせるのは賭けでもあった。それを乗り越え、G1を3勝もしてくれたんだ。感謝するしかないなぁ。あの馬で学んだことは貴重な財産になったよ」
シンボリクリスエスのファーストクロップであり、父に初となるG1の勲章をプレゼントしたのが同馬。母サクセスビューティ(その父サンデーサイレンス)は菜の花賞やフィリーズレビューを制した快速馬である。祖母がアメリカ産のアワーミスレッグス(仏1勝)で、デュピティミニスターの肌。ダート色が強い一族であり、兄弟にあたるサクセスサーマル(2勝)、サクセスオネスティ(3勝、地方1勝)、サクセスグローリー(4勝)らも砂路線で出世した。
「当歳で初めて見たとき、いい馬だとは思ったが、明らかなウイークポイントもあった。極端な外向で、負担がかかりやすい肢勢だったから。どこまでやれるのか、実験材料ともいえたね」
ただし、骨が固まっていない若駒であれば、ある程度の矯正は可能。スクリューワイヤー法、骨膜剥離法などといった手術や、接着式矯正蹄鉄で爪の角度を調整する技法など、外科的な対処によって、改善させようとする試みは年々、進歩している。
オーナーや生産牧場(武田牧場)を説得したトレーナーは、先進的なノウハウを有する吉田牧場に運ぶ。独特の脚向きに加え、非常に管囲が細く、ヒザの付き方も負担がかかりやすいかたちではあるが、騎乗するまでの中期育成を同場が担ったことにより、競走馬としての欠陥が和らいだのは確かだった。
騎乗馴致も師が信頼する小国ステーブルで行われた。丁寧に調教を積むと、2歳夏にいったん札幌競馬場へ入厩。これは仕上げのステップへと進む前に、試し乗りをしたかったため。再度の放牧を経て、栗東へ移動すると、プール調整も併用し、時間をかけて体をつくった。装蹄には、腱への負荷を軽減する効果がある〝フォーポイント〟と呼ばれる手法を採用した。
「あえて福島でデビューさせたのも、強い相手と目一杯の競馬したら、脚元への反動が大きく、先につながらないと考えたから」
坂路で一杯に追ったのはわずか1本。さらにコースで終い重点に時計を出しただけで、福島(ダート1700m)の新馬へ。騎乗した中舘英二騎手によれば「つかまっていただけ」で2歳レコードをマーク。後続には3秒1という歴史的な大差を付けた。続く黒竹賞も2番手から抜け出して楽勝する。
「あの走りを見て、これは想像したよりもはるかにすごい馬だと確信。速い追い切りは最低限に止めていたし、出張馬房の関係で、美浦を経由して臨んだのに、まったく堪えなかった」
ヒヤシンスSでは、4馬身差とさらに着差を広げる。前日に行われた古馬の準オープンより1秒2も優秀な時計。ひと息入れた後の端午Sは、他馬を5馬身も置き去りにした。普段は大人しく、性格も理想的だった。ダービーでの大敗を経験しても、懸命さはまったく失われなかった。
引っかかるくらいの勢いで、ジャパンダートダービーを駆け抜ける。2着のスマートファルコンに3馬身半、3着以下はそれより8馬身も後方に。堂々の3歳チャンピオンに君臨する。
「あんな前肢でも、全身をうまく使えて重心がぶれないのには感心させられた。長いつなぎを生かし、しなやかに地面をとらえるもの。だから、過酷なペースでも簡単にはバテないんだ」
秋緒戦のJBCクラシック(2着)は、スタートでトモを滑らせて大きくバランスを崩しながらも、勝ち馬のヴァーミリアンとの差はわずかにクビ。しかし、古馬勢の壁は思いのほか厚かった。オーバーペースがたたり、JCダートを8着。東京大賞典(3着)、川崎記念(3着)とも、あと一歩でカネヒキリに及ばなかった。
そして、ベストパフォーマンスを演じたフェブラリーSへ。ガラスの脚に配慮し、あえて細めにつくってきた上体ではあっても、筋肉が張り出し方が変わってきた。
「ようやく体が固まった段階にあったから、仕上げの精度をワンランク上げたつもり。もちろん、もう負けられないとの気持ちが強かったし、あとは乗り手がどう料理してくれるかだとも思っていた」
正直な馬ほど、キャリアを積めば積むほど、夢中になって突っ走りがちになるもの。新たな課題が表面化してきた。レース前になると一気にテンションを上げ、乗り難しさが際立ってきたのだ。ただし、その対策も十分に練られていた。パシュファイヤーを着用して高ぶる闘志を沈め、返し馬はせずに曳いてゲートまで導いたのである。
3番手の絶好位をキープ。渾身のムチに応えてラスト100mで先頭に踊り出る。最後の最後まで続く激しい攻防を乗り越え、栄光のゴールを迎えた。タイムは1分34秒6のレコードだった。
その後も先を見据えた戦略を立て、放牧時の管理まで細心の注意を払っていても、過剰に力む傾向が解消せず、南部杯(2着)、武蔵野S(10着)、JCダート(4着)と期待に反した走り。そんななかでも、実力の違いを誇示したのが4歳暮れの東京大賞典だった。
好スタートを決め、逃げ馬を見ながら追走。だが、自分のリズムを守り、勝負どころではポジションを下げる。直線は手に汗を握る攻防が繰り返されたが、力強い伸び脚は衰えない。ヴァーミリアンをハナ差で退け、3つ目となるG1のゴールを駆け抜けた。
「オーバーヘッドシュートの訓練を集中的に行っても、試合には即結しない。基礎がしっかりできていれば、自然とスーパープレーも出るようになる。すべきことの積み重ねに専念した結果だよ」
5歳シーズンは意外な足踏み。フェブラリーS(3着)、かしわ記念(4着)とも、エスポワールシチーとの直接対決では4回連続して優勝を譲る。帝王賞(8着)も1番人気を裏切ってしまった。
オーバーホールを経て、根岸S(13着)で再起を図ったものの、追い切りの反応からして本来の迫力とはほど遠かった。簡単にあきらめない指揮官も、「完全に闘志が燃え尽きた」と判断せざるを得なかった。
優秀なホースマンほど、馬を故障させるのを恥ずべきことだと考える。ただし、馬を強くするためには、ぎりぎりのラインまで攻めなければならない。その相反する課題をひとつひとつクリアし、頂点へと登り詰めたサクセスブロッケン。目まぐるしく覇権争いが繰り広げられる競馬史にあっても、長く語り継ぎたい逸材である。