サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

アダムスピーク

【2011年 ラジオNIKKEI杯2歳ステークス】一気に駆け上がった栄光の頂

 稀代のスーパーホースであり、スタリオン入りしてからも日本競馬を牽引したディープインパクト。トップサイアーの地位を確固たるものにしたのが2世代目である。ジェンティルドンナを筆頭に多数のトップホースを送り出したゴールデンエイジにあって、ノーザンファーム空港での育成時より、アダムスピークも一貫して高い評価を受けていた。

 イギリスに生まれ、アメリカのターフ(デルマーオークス)でG1勝ちを成し遂げたシンハリーズ(その父シングスピール)が母。同馬の妹にリラヴァティ(マーメイドS)、シンハライト(オークスなど重賞3勝、桜花賞を2着)、ミリッサ(4勝)らがいて、石坂正厩舎にとっては宝物のような血筋となった。

 2歳10月、栗東に入厩。順調に調整が進み、阪神の芝2000mでデビューする。いきなり2馬身半差の快勝。スローペースをスムーズに折り合い、瞬時に抜け出した。調教パートナーを務めた古川慎司調教助手は、こう当時の思い出を話してくれる。

「初めて跨ったときでも、背中の柔らかさは抜けていましたね。ひと追いごとに反応が際立ってきました。それでも、期待以上の内容でしたよ。まだトモの緩さも残り、ゲート試験は2回目で合格。スタートは速くないと思っていたのに、すっと好位へ行けるセンスの良さを示したのですから」

 そして、ラジオNIKKEI杯2歳Sへ。前に馬を置いて我慢させ、直線はわずかに開いたスペースを割って鋭く伸びた。ゴールドシップ、グランデッツァら強力なライバルを相手に、最速の上がり(3ハロン35秒1)をマーク。1馬身半差の堂々たる勝利を収める。

「またまた想像をはるかに超える走り。2戦目でできる芸当ではなく、クラシックに向けて自信を深めました。ところが、弥生賞(8着)ではパドックからやる気になりすぎてしまって。慎重に乗った結果だったいはいえ、本当にかわいそうでしたよ。スローペースに馬群が凝縮。勝負どころでは左右から押され、動くに動けないかたちに。直線も外からぶつけられたうえ、前がふさがってしまう。4回も5回もスムーズさを欠きました」

 精神面のコントロールに難しさを増したうえ、鼻出血を発症し、皐月賞は18着に大敗する。ダービーを断念し、入念に立て直しが図られたが、神戸新聞杯を前に屈腱炎を発症。1年9か月もレースから遠ざかった。

 5歳になり、逢坂山特別で復帰(6着)。花見小路特別(7着)でも、しきりに行きたがり不完全燃焼。ダートに目を向け、日吉特別で2着に浮上し、続く東京のダート1600mを順当に差し切ったが、ここで脚元が限界に達した。ノーザンホースパークを経て、帯広農業高校にて乗馬となり、静かに余生を送っている。

 晴れ舞台での登頂は果たせなかったものの、底知れない才能をうかがわせたアダムスピーク(人類の始祖、アダムの足跡とされる岩穴があるスリランカの山より命名)。一気に高いハードルを打ち破った勇姿は、多くのファンの目に焼き付いている。