サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
グランプリボス
【2010年 朝日杯フューチュリティステークス】トップトレーナーに勇気を与えたビッグボス
日本を代表する地位を固め、海外へ向けても果敢にチャレンジの矢を放つ矢作芳人調教師。錚々たる名馬を管理してきたが、長きに亘ってチームを牽引したグランプリボスへの愛着は格別なものがあるという。
「朝日杯の前、『バクシンオー産駒にマイルは長い』と言われましたし、スプリンターズS出走時も『距離短縮に対応できるか』と注目を集めました。それでも、馬が秘めている可能性は否定したくなかった。もしかしたら、血統の常識を覆せるかもしれないと感じていましたよ。思い出は尽きません。あの馬が教えてくれたことは、いまにつながる貴重な財産となっています」
芝の中距離に偏重して厚い層を誇る日本競馬にあって、スプリント部門で断然の存在感を誇ったサクラバクシンオーの産駒。母ロージーミスト(その父サンデーサイレンス)は、ダート1200mで1勝を挙げた。グランプリボスの半妹にアドマイヤキュート(3勝)がいるとはいえ、セレクトセール(当歳、2700万円で落札)に上場された当時の産駒ではミステリーゲスト(3勝)が出世頭だった。
「ノーザンファーム空港での育成時代から一度もラインが崩れなかったですし、若駒離れした動きが評判。完成度が抜けていました。札幌競馬場に直接入厩させ、半月余りでデビュー。びしっと追っても、まったくへこたれない。いつもは慎重な担当者(スーパーホーネットなども手がけた久保公二調教助手)も、『絶対能力が違いすぎる』って感心していましたね」
2歳8月、芝1500mの新馬に臨み、札幌2歳Sに勝つオールアズワンらを完封する。デイリー杯2歳Sは7着に敗退。イレ込んだのが敗因だった。
「北海道より移動する際に輸送熱を発症。そのうえ、セーブしても動いちゃうくらいなので、最終追い切りが強すぎました。調教師のミスで、参考外」
きちんと修正し直して臨んだ京王杯2歳S。みごとに重賞制覇を飾る。イメージを一新させる鋭い決め脚を発揮し、続く頂上決戦につなげた。
朝日杯FSでも中団できちんと脚がたまった。直線で外に持ち出すと、豪快な差し切りを決める。堂々と2歳チャンピオンに君臨した。
「直線は前が開くかだけが心配。能力を信じていましたからね。斜行による審議が長引き、降着も覚悟しました。でも、どんな結果が出ても、これが競馬だと割り切り、冷静でいられましたよ。でも、そんな状況でしたから、初めてG1を勝てたのに、思い切り泣けなくて」
3歳春はスプリングS(4着)、ニュージーランドT(3着)と歩み、NHKマイルCではみごと復権を果たす。中団の馬群でがっちり抑え、直線で一気に抜け出した。
「負けてはいけない馬が年明けは連敗。朝日杯よりはるかにプレッシャーを感じていました。正直に言えば、直前の飼い食いや馬がしぼんだ雰囲気から、調子自体は少し下がっていたと思います。馬はよく耐えてくれました。紆余曲折があったぶんも、感激しましたよ」
海外にもアンテナを張り巡らせている矢作師らしく、ロイヤルアスコット開催のセントジェームズパレスSに挑む。ここでは歴史的な名馬であるフランケル(同レースを含めG1を10勝)の8着に敗れた。
「これだけの器となれば、種牡馬としての価値を高めていくのは使命。苦い経験となりましたが、日本競馬のためにもチャレンジを続けていかないと」
海外遠征の疲れは大きく、3歳秋はスワンS(8着)、マイルCS(13着)と低迷したが、阪神Cではハナ差の2着に反撃する。フェブラリーS(12着)を挟んだ後、マイラーズC(13着)や京王杯SC(7着)を経て復調し、安田記念ではクビ差の2着に食い込んだ。
「なぜか、ずっと外枠ばかり引き当ててしまって。だから、前に馬を置けず、脚をためられないのがパターン化してしまった。すっかり人気を落としていても、安田記念は絶好の3番枠。これは勝ち負けになると確信しました」
4歳秋にスワンSで久々の勝利。マイルCSもクビ差の2着する。香港マイルは12着と期待を裏切ったが、検疫厩舎に移動後、他馬の顔が見えずに淋しがり、飼い食いが落ちる誤算もあった。翌春はマイラーズCから始動。いきなり大外強襲を決めた。
「叩き良化タイプで、久々は走れない傾向にありましたが、リフレッシュ効果で中間は落ち着き払った態度。調教の反応も過去最高といえ、いよいよ完成の域に入ってきた実感がありましたよ。17番からのスタートでも、不運を跳ね返してしまった。前半でハイラップが刻まれ、しっかり折り合えた結果です」
しかし、結局、これが最後の勝利となった。安田記念(10着)はハミをきつく噛んだうえ、直線で前が開かなかったもの。以前よりしたためていたスプリンターズS(7着)への出走も不発に終わる。しばらく気持ちが空回りし、スワンS(7着)、マイルCS(9着)と連敗を重ねた。
左トモの軽い骨折を乗り越え、安田記念で2着に食い込んだ6歳シーズン。スプリンターズS(4着)、マイルCS(6着)でも力の衰えなど感じさせなかったが、香港マイル(3着)がラストラン。アロースタッドでスタリオン入りすることとなった。
「勝てなかったのは残念でしたが、引退が決まっていても、守りの調教ではなく、悔いのない仕上げを施せた。すがすがしい気分で締めくくれましたね。これからも競争は厳しいけれど、種牡馬としても成功を信じています。サクラバクシンオーの貴重な後継。能力が高かったからこそ、マイルまでこなせた。雄大な馬格を誇り、スピードとパワーもあり余るほど。前向きな気性や丈夫な脚元など、アピールできる点ばかりですから」
2024年に種牡馬を引退したが、トレーナーの見立て通り、モズナガレボシ(小倉記念)が重賞優勝を飾った。いつまでも忘れえぬヒーローである。