サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
グランプリエンゼル
【2009年 函館スプリントステークス】百戦錬磨の鉄人に勇気を与えた健気なエンゼル
1986年のデビューし、昨年11月、惜しまれつつ引退するまでにJRA通算1051勝をマークした熊沢重文騎手。デビュー3年目のオークス(コスモドリーム)では、初の重賞勝ちをG1の大舞台で飾り、91年にはダイユウサクで有馬記念に優勝するなど、早くから鮮烈な印象を残した。ジャンプレースにも積極的に騎乗して257勝。12年の中山大障害(マーベラスカイザー)を勝利し、平地に加えて障害でもG1の勲章を手にしている。両分野で二桁の重賞勝利(計33勝)を収めているのは、日本競馬史上で熊沢騎手だけである。百戦錬磨の鉄人は、こう現役時代を振り返る。
「激しい競争のなかにいて、マジで生き残りに必死だったね。目先のことに夢中になっていたら、もう50代半ばに。ミキオ(松永幹夫元騎手)が調教師になり、同期でジョッキーなのはノリ(横山典弘騎手)だけになっても、一日でも長くジョッキーでいたいと願い、自分らしく、泥臭くやってきたまで」
そんな熊沢騎手が晩年に演じたベストレースの一つとして、09年の函館スプリントは鮮烈なインパクトを残した。騎乗馬はグランプリエンゼルである。
「無理なく理想的なポジションが取れ、あとはスパートのタイミングを待つのみ。時計勝負に不安もあったけど、回転の速いフットワークは深い洋芝に合うと思っていたんだ。会心のレースができたね。05年の阪神ジュベナイルF(テイエムプリキュア)以来、しばらくタイトルから遠ざかっていたから、あの馬には感謝の気持ちでいっぱい。もっとがんばらなきゃって、意欲がわいてきた」
芝・ダートを問わずに走り、海外でも香港Cを制したアグネスデジタルの産駒。母アンダンテ(その父サンデーサイレンス、ダート1200mで2勝)は、桜花賞(8着)にも駒を進めた快速タイプである。同馬の半姉に5勝したグランプリオーロラがいて、熊沢騎手の手綱で2勝を挙げていた。
3戦目の札幌(芝1200m)で初勝利したものの、サフラン賞(12着)、寒桜賞(9着)と足踏みしたグランプリエンゼル。熊沢ジョッキーをパートナーに迎えたことをきっかけに、一変した走りを見せる。阪神の500万下(ダート1200m)を好位から差し切り。11番人気の低評価を覆し、橘Sもあっさり連勝する。芝の重馬場でもスピードは衰えなかった。
心身の充実には身を見張るものがあった。NHKマイルCに臨むと、堂々の3着に食い下がる。この一戦では内田博幸騎手に手綱を託した陣営(矢作芳人厩舎)だったが、躍進の原動力となったファイターをことを忘れてはいなかった。函館スプリントSでの鞍上に抜擢する。
「3歳牝馬の負担重量は51キロ。普段の体重から5キロ以上も減量する必要があったけど、準備期間はたっぷりあったからね。1か月前より、少しずつ落としていったよ。久々に訪れたビッグチャンス。辛いなんて言ってはいられないもの」
馬にも熱意は伝わっていた。抜群の手応えで直線に向くと、小柄な馬体を弾ませて楽々と抜け出す。1馬身半差の快勝だった。
続くキーンランドCも3着に健闘。しかし、スプリンターズSは不利を受け、13着に沈む。一気に階段を駆け上った反動も大きく、なかなか本来の輝きを取り戻せなかった。
4歳秋のオパールSが最後の勝利。翌年のヴィクトリアマイル(4着)、京阪杯(2着)、6歳時のオーシャンS(2着)など、たびたび見せ場をつくりながら、2つ目の勲章は手にできなかった。カペラS(12着)を走り終え、繁殖入りが決まった。
モズレジーナ(3勝)、モズピンポン(2勝、地方1勝)などを送り出し、母としても評価を高めているグランプリエンゼル。新たなスターの登場を楽しみに待ちたい。