サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
アズマシャトル
【2015年 小倉記念】狙い定めた栄光へ自慢のジェットエンジンを点火させて
2歳11月に京都の芝1600mでデビューし、2馬身半差の快勝を収めたアズマシャトル。中団より繰り出した末脚(ラスト33秒8)は、次位をコンマ7秒も上回る鋭さだった。加用正調教師は、育成当時から確かな素質を感じ取っていた。
「希少になったマルゼンスキーの肌。母は高齢(94年生まれ)だが、コンスタントに活躍馬を出している。当歳で出会ったころは小柄だったが、サンデーサイレンス系の父らしく、瞬発力を秘めていそうなイメージ。それが1歳くらいからめきめき大きくなり、力強さも兼ね備えてきた。下河辺牧場での乗り込みも順調だったが、単調なスピードタイプではないからね。あえて暑い時季は無理をさせず、9月になって入厩させることにしたんだ」
コンスタントに活躍馬を輩出し、大舞台向きの底力にも富むゼンノロブロイが父。母ブレッシング(その父マルゼンスキー)は1勝のみに終わったが、その半妹に3冠牝馬となったスティルインラブがいる。ピサノパテック(6勝、セントライト記念3着)は同馬の半兄にあたる。
前が止まらなかった千両賞でも、直線は懸命に伸び、渋太く2着を確保。ラジオNIKKEI杯2歳Sは、後にダービー馬となるワンアンドオンリーの2着に食い下がった。外から動かれ、早めに仕掛けざるを得なかった結果であり、負けてなお強しの内容といえた。
「本来は決め手で勝負できるタイプ。ベタ爪だから、あんな馬場(やや重)は向かないのに、想像以上にいい走りだった。調教タイムは目立たないけど、併せ馬だと格上にも先着。普段は大人しいが、実戦にいけば気持ちが切り替わり、ぴりっとする。決して引っかかったりしないうえ、追われて味があった」
弥生賞(6着)以降の4戦はリズムに乗れず、ダービー(15着)も後方のまま。それでも、放牧をきっかけに一変し、TVh賞を勝ち上がる。ポートアイランドS、カシオペアSとも僅差の2着。チャレンジCを4着し、重賞戦線へもメドを立てた。
「能力の高さだけで残した結果。3歳春に再始動させたら、真面目な気持ちが薄れてしまい、なかなか本来の好気配を取り戻せなかった。もともとパドックはよく見せず、実戦で走る傾向があったにしても、返し馬で硬さが目立ち、決して本調子とは思えない。外枠が響いた京都金杯(11着)は参考外。腰に緩さがあり、すっと前へ行けない弱みが出た」
ベストの2000mに照準を定め、白富士Sを差し切り。レースの上がりを1秒9も凌ぐ34秒7の決め手を爆発させ、2着を1馬身半も切り捨てる鮮やかなパフォーマンスだった。ただし、久々に全力を尽くした反動は大きく、いったん放牧を挟んだ。
仕上がり途上だった新潟大賞典(12着)を叩き、鳴尾記念で3着に前進。マレーシアC(4着)は取りこぼしたが、小倉記念へ格上挑戦すると、大外から豪快な追い込みが決まった。早めにスパートし、勝負どころで手応えが鈍ったのに、ラストの伸びは断然だった。
騎乗した松若風馬騎手にとっても、これがうれしい初の重賞制覇となった。こう控えめに笑みを浮かべる。
「もう少し前で運びたかったので、決して満足のいく競馬ではありませんでした。苦しい展開でしたし、内にもたれながらも、長く脚が持続しましたね。こちらは夢中で追ったまで。馬の力で勝たせてもらいました」
ようやく本格化した矢先、左前に炎症が認められた。10月のブランクを経て、鳴尾記念(14着)に挑んだものの、一戦で再発。早すぎる引退が決まった。
宇宙へ飛び出すほどの勢いを願って名付けられたアズマシャトル。隠されたジェットエンジンに火が点いたのが小倉記念のみだったとはいえ、その名の通り、破格のポテンシャルの持ち主だった。