サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

クラフトワーク

【2005年 アメリカジョッキークラブカップ】研ぎ澄まされた馬体に宿った熟練の技

 全盛期は短かったものの、立て続けに3つの重賞を手にしたクラフトワーク。そのパフォーマンスは多くのファンに鮮烈なインパクトを与えた。

 父はオセアニアで成功したペンタイア。日本での代表格が同馬である。母ワーキングガール(その父パドスール)は3勝をマーク。その半兄にダイナコスモス(皐月賞、ラジオたんぱ賞)がいる。函館記念など5勝したクラフトマンシップは同馬の半兄にあたる。サンデーサラブレッドクラブにて総額1600万円で募集された。

 ノーザンファーム空港で基礎固めされ、2歳7月、函館競馬場に入厩。9月の札幌、芝1800mに臨むと、3着でゴール。続く同条件では、鋭い伸び脚を駆使してクビ差の2着に食い込んだ。11月の中山、芝2000mで順当に初勝利。ラジオたんぱ杯2歳Sは5着だったものの、不良馬場が堪えた結果である。

 リフレッシュを挟み、すみれS(2着)より3歳シーズンをスタート。フリージア賞であっさり2勝目を挙げた。他馬と接触したのが響き、青葉賞は3着。ダービー(9着)も直線で不利を受ける。

 日高特別(4着)、九十九里特別(3着)と勝ち切れなかったが、格上挑戦したテレビ静岡賞をみごとに追い込み勝ち。右にもたれる弱点があり、当時は左回りのほうが走りはスムーズだった。体質の弱さやトウ骨の骨膜に配慮し、休養を挟みながら使われていく。

 久々となった東京新聞杯を2着。前残りの展開に泣き、中京記念は5着だった。ここで4か月半の間隔を開け、函館記念に駒を進める。初めて手綱を取った横山典弘騎手はじっくり追い出しを我慢し、良績がなかった小回りで鋭い決め手を引き出すことに成功。ついに重賞ウイナーの仲間入りを果たした。

 だが、ヒザに軽い骨膜炎を発症し、秋シーズンは全休。慎重に仕上げられ、中山金杯に照準を合わせる。インに入れて脚をため、3コーナーから徐々に進出。坂を上がり、一気に馬群を割った。2着に1馬身差を付ける完勝だった。

 そして、勢いに乗ってアメリカJCCへ。いつでも動けるポジションで折り合い、他馬が動くのを待って外へと持ち出す。瞬時に先頭へ。後続にコンマ2秒の決定的な差を広げた。ここでも息の合ったパフォーマンスを披露した横山ジョッキーは、こう満足げに笑みを浮かべる。

「前回も強かったからね。能力を信じていた。行きたい馬も見当たらなかったし、早め早めの競馬をしようと思っていたんだ。ペースは速かったけど、道中のリズムは良かったし、あとは抜け出すタイミングを測るだけ。右回りで内にもたれてしまうところもあるが、しっかり乗れたと思う。ゴーサインを送ってからの反応は期待通り。危なげなかったよ」

 G1への挑戦や海外遠征も視野に入れられていたが、激走の反動は大きく、トモの送りにぎこちなさが目立つようになる。懸命に治療され、1年1か月後に中山記念(12着)で復帰。ただし、一向に状態は良化せず、エプソムC(11着)、毎日王冠(14着)と歩んだところで引退が決定した。

 走る要素を備えていても、すべてが噛み合うのはいかに難しいことか。それを再認識させられる競走生活だったが、アメリカJCC時の研ぎ澄まされた馬体はいつまでも忘れられない。陣営の努力に加え、ジョッキーの熟練の技が美しく融合した勝利だった。