サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

キンシャサノキセキ

【2011年 高松宮記念】奇跡的な強さをもたらした努力の軌跡

 2022年シーズンで種牡馬を引退するまで、絶大な人気を誇ったキンシャサノキセキ。自身と同様、早期から活躍するうえ、奥深さも兼備していて、数多くの重賞ウイナーを送り出している。母ケルトシャーン(その父プレズントコロニー)はアメリカ生まれで不出走。その半兄にグルームダンサー(リュパン賞など)がいて、重厚なヨーロッパの血が流れている。ただし、父はフジキセキ。中距離以上で断然の強さを誇るサンデーサイレンス系にあって、スピード色も濃かった。

 南半球産で生まれが半年遅れ(9月24日生まれ)。それでも、輸入されて日が浅いなか、2歳11月に美浦へ移動した。別の預託予定馬が不慮の事故で亡くなったために、急遽、入厩が決まった経緯があるのだが、当初から動きは非凡。1か月後には中山の新馬(芝1200m)に登場し、いきなり初勝利を収めた。続くジュニアCも豪快に差し切る。

「出会ったときからすば抜けた能力を見込んでいました。ただし、我の強いところがウイークポイント。根気強くコントロールを教え込む必要がありましたね」
 と、堀宜行調教師は成功への軌跡を振り返る。

 激しい気性ゆえに折り合いを欠き、アーリントンC(6着)、マーガレットS(4着)と期待を裏切ってしまう。それでも、NHKマイルCでは3着に反撃し、確かな実力を垣間見せた。

 3歳秋に桂川S、4歳になって谷川岳S、キャピタルSと勝利したものの、重賞ではあと一歩の走りが続いた。早くから短い舞台にシフトしていたら、容易に出世できたとも思われるが、力任せに急ぐことばかりを教えれば、操縦が利かないまま、精神的に燃え尽きてしまうのがパターン。先々を見据えた同ステーブルらしい取り組みが、その後に生きてくる。

 第一次の黄金期を迎えたのが5歳時。右前脚を挫跖するアクシデントがあり、直前まで出否を悩んだ高松宮記念だったが、鉄橋を渡して蹄底を保護するタイプの特殊鉄に履き替えて参戦に踏み切った。いったん先頭に立ち、クビ差の2着に健闘する。しっかり態勢を整え直したうえ、函館スプリントSに臨むと、晴れて重賞ウイナーの仲間入りを果たした。

 続くキーンランドCは3着に敗れたものの、位置取りがすべて。メンバー中で最速となる33秒7の上りを駆使する。スプリンターズSを2着し、翌シーズンに備えた。ところが、疲労が抜けず、オーシャンS(10着)、高松宮記念(10着)とスランプに陥る。すぐに気持ちがオンに切り替わり、促さなくても動きすぎるくらいに動くタイプだけに、十分にリフレッシュ期間を割いていても、放牧先でもオーバーワークになりがちだった。

 スプリンターズS(12着)では身のこなしに硬さが目立ったのだが、陣営は懸命にケアを施す。鮮やかに復活を遂げたのがスワンS。右側だけ装着したブリンカーの効果もあり、まっすぐに伸びて熾烈な追い比べを制した。

 痛恨の出遅れに泣くかと思われた阪神C。だが、楽な手応えで4コーナーより進出。直線であっさり抜け出すと、後続に1馬身の決定的な差を付ける。ますます破壊力を増し、オーシャンS、そして、高松宮記念と破竹の4連勝で突き進んでいく。いまやトップレベルの地位を確固たるものにしている陣営に、初となるG1のタイトルをもたらした。早めに抜け出してソラを使い、ハナ差の辛勝ではあったが、余力はたっぷり感じられ、さらなる進歩が見込める内容といえた。

「テンションが上がるのを心配していたのに、下見でも落ち着いていて、成長を実感しましたね。メンタルとフィジカルのバランスが、ようやく釣り合ってきたのでしょう。調教のダメージも少なくなり、ぐっとたくましくなりました」

 スプリンターズSは2着。距離延長に抑えが利かず、マイルCSで13着に沈んだとはいえ、状態は高いレベルで安定していた。阪神Cの連覇を達成。7歳にしてJRA賞最優秀短距離馬に選出される。

 翌春はオーシャンSより始動する。激しくかかる馬にあえて薄いチークピーシーズを着用させ、かつ操縦性を補う目的で従来のクロス鼻革よりワンランク強く制御できるメキシカンノーズバンドを採用。後方に置かれ、2着だったとはいえ、繰り出した決め脚は目を見張るものがあった。

 モハメド・アリがコンゴ民主共和国のキンシャサでジョージ・フォアマンを破った名勝負から名付けられたハードパンチャーは、8歳の高松宮記念でベストパフォーマンスを演じる。好位で流れに乗り、楽々と抜け出した。生涯で最高の着差(1馬身1/4)を広げ、2度目となるG1タイトルを奪取。まさに「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と評したくなるラストランだった。