サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
アストンマーチャン
【2006年 小倉2歳ステークス】データを覆す異次元のスピード
2歳7月に小倉の芝1200mでデビューしたアストンマーチャン。クビ差の2着に敗れたものの、出遅れたうえ、ゴール前で物見をする若さが影響した結果だった。2戦目の同条件はスムーズに2番手を追走し、危なげない勝利。小倉2歳Sでは、2ハロン目から10秒台のラップが2つ続いたなかでも楽々と先行し、後続を2馬身半差も突き放してしまった。
朝日杯3歳Sや安田記念を制したアドマイヤコジーンのファーストクロップであり、母も短距離で3勝をマークしたラスリングカプス(その父ウッドマン)というスピードが強調された配合。社台ファームでの育成過程より、その脚力は同期を圧倒していた。
「早熟と見て、夏にデビューさせたわけですし、実際に当時から完成度も高かった。でも、小倉2歳Sの覇者が、1年後にG1(スプリンターズS)まで上り詰めたんです。なかなかこんなケースはないでしょ。無事ならば、古馬になっても、データを覆すような走りを見せてくれたはずなのに」
と、石坂正調教師は感慨深げに話す。
ファンタジーSも圧巻の内容。好位から一気の脚を駆使し、5馬身差のワンサイド勝ちを収める。タイムは2歳レコードだった。阪神JFでは堂々の1番人気。だが、ここには歴史的な名牝が待ち構えていた。ウオッカ(ダービー、ジャパンCなどG1を7勝)の末脚に屈し、クビ差の2着に終わった。
3歳春はフィリーズレビューより始動する。強力なライバルがチューリップ賞に進んだなか、負けられない一戦。単勝1・1倍の人気にふさわしいパフォーマンスを披露した。
「スピードがありすぎるから、そのコントロールに気を付けた。がつんと行きかけたけど、しばらくして我慢が利き、あとは楽だったね。この距離なら、ほんと強い」
と、武豊騎手。ロケットスタートを切りながら、桜花賞を意識して3、4番手に抑え、直線は馬なりのままで先頭へ。追ったのはゴール前だけだったが、後続を2馬身半もちぎり捨てた。
ウオッカとの再戦に注目が集まった桜花賞だったが、イレ込みが響き、7着まで後退する。堂々と押し切ったのはダイワスカーレット(エリザベス女王杯、有馬記念などG1を4勝)だった。
しっかり英気を養った後、スプリント色が際立ってきたことを考慮して北九州記念へ。断然人気に推されたが、後方待機勢に飲み込まれ、6着に沈む。それでも、石坂師は前向きな姿勢を崩さなかった。
「確かに高速決着でしたが、あの馬にとっては決してオーバーペースではなかった。ごちゃついて、リズム良く走れなかったのが敗因です。スプリンターズSでは、馬群に入れずにレースをさせようと思いましたね」
大目標のスプリンターズSは生憎の不良馬場となったが、坂路が極悪状態でもすいすい駆け上がれるパワーの持ち主。体重が10キロ増加していたが、攻め馬を強化してのものだった。落ち着いてパドックを周回する姿に、トレーナーも成長を感じ取っていたという。
あっという間にリードを広げた時点で勝負は決していた。みごとな逃げ切り。同レースが秋に施行されるようになった2000年以降で、3歳が勝ったのは初めてだった。
だが、至福の時間は短かった。激走の反動があったのか、続くスワンSは14着と思わぬ失速。インフルエンザ発生に伴い、検疫場所の変更と期間の延長が求められ、香港スプリントへの挑戦を断念する不運もあった。結局、4歳時のシルクロードS(10着)がラストラン。高松宮記念に向けて調整中に急性出血性大腸炎を発症してしまう。診療所に入院して懸命の治療が施されたものの、心不全のためにこの世を去った。
牝馬の黄金時代にあって、真っ先に頭角を現したアストンマーチャン。いつまでも少女のまま、人々の記憶にとどまり、軽快にラップを刻み続けている。