サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

オースミグラスワン

【2008年 新潟大賞典】積もり積もった鬱憤を晴らす究極の末脚

「ホッコーオウカ(その父リンドシェーバー)はすごい繁殖です。ファミリーはみな個性が違うのですが、共通するのは頭がいいこと。あの仔は前しか見なかったハルカとは正反対でしたね。余計なことも覚えてしまい、馬込みを嫌いました」

 と、佐藤淳調教助手(荒川義之厩舎)が話すのは、オースミグラスワンについて。姉兄にチューリップ賞、クイーンSなど重賞を4勝したうえ、エリザベス女王杯の2着が2回あるオースミハルカ、オースミエルスト(小倉2歳Sを2着)がいて、半妹のローデッド(フェアリーS2着)、オースミハルカの仔であるオースミイチバン(ダート交流重賞を2勝)などにも佐藤さんは跨り続けてきた。

 オースミグラスワンの父はグラスワンダー。その良さも受け継ぎ、若駒当時より乗り味の良さは一級品だったという。安藤正敏厩舎より2歳10月にデビュー。早速、京都の芝1600mで新馬勝ちを収める。あけび賞もクビ差の2着。骨折により、10か月ものブランクを経たが、さらに2着を2回続け、京都の芝1800m、ゴールデンブーツトロフィーと連勝した。

 寿Sはハナ差の2着だったものの、松籟Sを勝ち上がり、順調にオープン入り。9着、3着と成績を上げ、4歳春の新潟大賞典では大外一気を決めた。ただし、その後は長期のスランプ。12戦を消化しながらも、勝利から遠ざかった。

「毎日王冠(8着)でもメンバー中でトップの末脚(33秒6)を駆使しましたし、自信を持って臨んだ天皇賞・秋(14着)。ところが、装鞍所で放馬し、緊張の糸がぷつりと切れてしまったんです。人に従順で、調教中は真面目に走るのですが、ちょっとしたことでも過敏に反応。ときどきパニックに陥ります。他馬を怖がって急に暴れ、頭絡が外れてしまった。あの時点で馬は燃え尽きたましたよ。それ以来、不運が不運を呼ぶ感じ。いくら跳びが大きくて、器用さに欠くとはいっても、前がふさがってばかり。苦手の雨にも付きまとわれました。なかなか目標を定められず、こちらもメリハリを付けた調整ができませんでしたね」

 安藤師の引退に伴い、同馬と佐藤助手は、新規開業した荒川厩舎へ。ようやく流れは変わった。2年近くの沈黙を破り、大阪城Sを勝利。新潟大賞典では、荒川調教師にうれしい初重賞の勲章をプレゼントする。そのレース内容は、実に派手なものだった。平地中距離で史上最速とされる31秒9の上がりを繰り出す。

「あのときの感激といったら。積もり積もった鬱憤が晴れ、涙が出そうになりました。安藤先生もずっと気にかけていて、お祝いの電話がありましたよ。他厩舎の馬は警戒しますが、仲間には信頼を寄せるように。自分が先輩になったこともよくわかっていて、あのころは自ら若駒を先導するくらいでしたからね。肉体面もぐんと成長。どちらかといえば前躯が勝った体型で、フォームがばらばらになりがちだったのに、トモの強化は目覚しく、スピードに乗りやすくなったんです。あきらめなければ、いずれいいことがあるって、前向きな気持ちにしてくれた恩馬。グラスワンで学んだ貴重な経験を、この先の仕事へもつなげていかないと」

 長い直線を最大限に生かし、究極の脚を爆発させた勇姿は、いまでも佐藤さんの目に焼き付いている。結局、以降は未勝利に終わったが、未来へと語り継ぎたい愛すべき個性派だった。