サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

オウケンブルースリ

【2009年 京都大賞典】燃えよブルース、昇竜への道

 ジャガーメイル(天皇賞・春)、トールポピー(オークス、阪神JF)、トーセンジョーダン(天皇賞・秋)などを送り出し、大舞台での強さを発揮したジャングルポケットの産駒。オウケンブルースリも一流の煌めきを放った個性派だった。

 05年のセレクトセール(当歳)にて3000万円で落札。ただし、1億円以上で取り引きされた馬が7頭もいた同セールだけに、注目する関係者は少なかった。母のシルバージョイ(その父シルヴァーデピュティ、アメリカで4勝)はカナダ生まれ。近親にチーフベアハートがいる血脈が買われ、ノーザンファームに導入されたが、中央で勝ち上がった子供となると、同馬の以前にバリーバーン(42戦3勝)しかいなかった。管理した音無秀孝調教師は、こう若駒時代を振り返る。

「長いところ向きなのは見立てどおり。でも、もともと大きな期待を寄せていたかといえば、そうでもない。立派な馬格の割には管囲が細く、蹄も小さいのが特徴。ノーザンファーム空港での育成時はどうしても負担がかかり、腱鞘部分が浮腫みがちだったからね。動きも目立たなかった」

 栗東への入厩は3歳の3月にずれ込む。デビューは4月の福島(芝2000m)だった。いきなりクビ差の2着に健闘。2戦目の新潟(芝2000m)では、4コーナーで外ラチ近くまで逃げながら、コンマ3秒差(5着)まで追い込む。その後は中京の芝2000m、生田特別と一気に連勝を飾った。

 続く阿賀野川特別での強さは圧巻。34秒1の上がりをマークし、余裕たっぷりに2馬身半も差を広げる。2着、4着の古馬は次走を勝利し、3着がセントライト記念を制したダイワワイルドボアなのだから、価値は高かった。担当の塩津智彦調教助手も、着実な進歩を実感していたという。

「普段は大人しいのですが、図太く、ふてぶてしい感じ。前方に馬がいると立ち上がって乗りかかろうとしたり、はっきりと自己主張します。そんな性格ですので、以前の調教ではなかなか進もうとしなくて。それが、だんだんやる気を見せるようになったんですよ」

 3着に終わった神戸新聞杯でも、次元の違う上がり(34秒5)を駆使する。菊花賞に臨んだ際は、脚の長さばかりが目立った馬体にぐんとたくましさを増していた。

「スピードに乗るのは遅くても、展開にかかわらず伸びてくる。折り合い面に心配がないのが最大の長所じゃないかな。かつて管理した長距離の追い込み馬に、トシザブイやユーセイトップランがいるけど、極端なレースをさせたのは馬込みを嫌うから。この馬にはそんな弱点もない」(音無調教師)

 初のG1挑戦にもかかわらず、堂々の1番人気。その支持にふさわしい独壇場だった。終始、外を回り、ゆっくり下らなければならないはずの坂で早めに進出しながら、直線も脚色は衰えない。2着のフローテーションに影を踏ませることなく、悠然とゴールに飛び込んだ。ターフに登場してわずか184日。驚くべきスピードで頂点を極めたのだ。

 3歳時のジャパンCは5着。4歳春の阪神大賞典では過酷な不良馬場に泣き、7着と大敗した。反動は大きく、歩様が乱れたことから、じっくりと立て直すこととなった。

 京都大賞典より再スタート。リフレッシュ効果があり、身のこなしに柔らかさを取り戻し、気持ちも前向きになっていた。前半は無理せず、後方で折り合いに専念していたが、大外に持ち出して追い出されるとぐんぐん加速する。豪快に差し切り、みごとな復活劇を遂げる。

 主戦の内田博幸騎手も、安堵の笑みを浮かべた。
「位置取りは気にしなかったし、いいリズムで運べた。勝負どころの手応えで、これなら差し切れると思ったよ。以前はトモが弱かったけど、だいぶパワーも備わってきた。改めて強い相手を倒し、世代を超えたチャンピオンを目指したい」

 しかし、天皇賞・秋は出遅れて流れに乗れず、4着止まり。ジャパンCは、ゴール前で猛追しながらもウオッカとはハナ差の2着だった。
 5歳以降のオウケンブルーリは、京都大賞典(2着2回)、アルゼンチン共和国杯(2着)などで確かな実力を垣間見せながらも、結局、勝てずに終わった。それでも、関係者の深い愛情に支えられ、7歳の有馬記念(14着)まで無事に走り続ける。幸せな競走生活だったに違いない。

 産駒は希少ながら、種牡馬としてもオウケンムーン(共同通信杯)を輩出。2023年に種牡馬を引退したが、昇竜の伝説は後世へも語り継がれていく。