サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
オリエンタルロック
【2007年 札幌2歳ステークス】北の大地に響き渡る斬新なロック
2歳7月の函館(芝1800m)でデビューすると、直線で内にもたれながらも3着でゴールしたオリエンタルロック。続く同条件は出遅れてしまい、5着に終わったが、太めだった体も順当に引き締まり、3戦目の札幌ではきっちり差し切りが決まった。
管理した田所秀孝調教師(2021年に引退)は、こう若駒当時を振り返る。
「返し馬で燃えすぎたり、いざ追い出しても集中できなかったり。性格面が幼く、まだまだ反抗期でしたからね。ただ、いつも活気があって、健康的な雰囲気。勝つのに手間取ったとはいえ、上位の時計をマークしていましたし、一戦ごとにレースを覚え、上昇ムードにありました。だんだん調教でもやる気を見せるように。ある程度はやってくれる手応えがあり、札幌2歳Sへの参戦を決めたんです。それにしても、あんな鮮やかに勝ち切るとは」
前半は最後方をのんびりと走っていたが、道中のペースは緩まず、キャリアが浅い2歳にとっては過酷な消耗戦となる。レースの上りを1秒0も凌ぐ3ハロン36秒9の末脚を駆使。直線で大外に持ち出し、短い直線を一気に突き抜けた。
新たな一面を引き出したのは、武豊騎手だった。当初は大物との呼び声が高かったポルトフィーノ(後にエルフィンSなどに勝利)に騎乗予定だったのだが、直前になって回避。急遽、結成されたコンビだった。
「武幸四郎くんが特徴をつかんでくれていましたが、あのときは落馬負傷で乗れませんでした。最強の代打。いい巡り合わせに恵まれましたね。後ろで脚をためるにしても、あえてもう一段下げたのが勝因でしょう。無駄なところでムキになりがちなのに、リラックスして追走できました。あんな追い込みは、滅多に見られませんよ」
2009年にリーディングサイアーとなったマンハッタンカフェが父。最初の重賞ウイナーが同馬である。母エンジェルインザモーニング(その父マウントリヴァーモア)は不出走だが、近親にハウスバスター(米G1を3勝、種牡馬)やヤシマジャパン(京成杯3歳Sを3着、種牡馬)らがいる。
巡り合いとは、不思議なものである。田所師が同馬と出会ったのは、生まれた直後のこと。当歳の夏にはセレクトセールに上場され、このときは他の馬主用にと、トレーナーも獲得しようと試みる。しかし、購買価格は2300万円まで跳ね上がり、予算の関係で断念。落札したのはオーナー(棚網るみ子氏)の依頼を受けた故・前田禎調教師だった。前田師が同年の秋にこの世を去り、預託先もいったん白紙となったのだが、田所師もオーナーとは縁が深い。後にお互いがセリ合っていたことが判明し、すんなり行き先は決まった。
「オーナーは初めて重賞に挑戦し、いきなりの勝利。前田先生の後押しがあったと信じています」
気性に激しさを増したうえ、蹄の不安や骨折にも泣いたオリエンタルロック。結局、以降は15連敗を喫し、地方競馬へ転出した。輝きを放ったのはつかの間だったものの、時間を経ても痛感な余韻を伴ったまま、エリートたちを沈黙させた衝撃の末脚が蘇ってくる。