サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
オペラシチー
【2005年 目黒記念】スピード決着で開花した重厚なポテンシャル
重厚な血ゆえ、日本では期待ほどの良績を収められなかったサドラーズウェルズの後継たち。ただし、オペラハウスだけは別格であり、テイエムオペラオーやメイショウサムソンが一時代を築いた。
オペラシチーも忘れてはならない逸材。父の魅力をストレートに受け継いでいた。母シャルムマイヤー(その父ブレイヴェストローマン)は未勝利であり、同馬以外にJRAでの勝ち馬を送り出せていないが、平安Sを2着したオースミレパード(6勝、地方27勝)の半姉にあたる。
2歳8月に栗東へ移動した当初は体質の弱さが目立ったが、放牧を挟んで大切に成長を促すと、年末以降は調整が軌道に乗る。初めて一杯に追われた最終調整で抜群の伸び脚を披露。単勝1・1倍の人気を背負い、小倉の芝2000mを楽勝した。
だが、鼻肺炎に罹患する不運があり、4か月半のブランク。それでも、難なく鶴橋特別を勝ち上がり、玄海特別も堂々と抜け出した。主戦を務めた佐藤哲三騎手は、こう胸を張る。
「まくるかたちになったけど、この馬自身のペースに合わせた結果。着差(クビ)以上に強い内容だったし、後続が迫ってきても負ける気がしなかった」
思い切って朝日チャレンジCへのチャレンジを敢行。7着に敗れたとはいえ、馬込みで窮屈な走りを強いられた結果であり、先頭とはコンマ3秒差だった。菊花賞では見せ場がたっぷり。3着に健闘する。
しっかり英気を養ったうえ、御堂筋Sを順当勝ち。日経賞(3着)に続き、メトロポリタンSもハナ+クビまで迫ったところがゴールだったが、苦い敗戦が生きたのが目黒記念だった。
好スタートを切り、インの好位をキープ。直線で外へ持ち出し、早めに仕掛けた。気楽に脚をためた待機勢が迫ってきたが、ぎりぎり押し切ってゴールに飛び込んだ。念願のタイトル奪取がかない、佐藤騎手も安堵の笑顔を浮かべる。
「56・5キロのハンデを課せられながら、ここでも1番人気。もう取りこぼせないと思っていたし、能力を信じていた。大きな馬体で器用さに欠くから、ここは前々の正攻法で。馬場が良かったことと、イメージどおりに運べたのが勝因だね。最後は余裕がなかったけど、懸命にがんばってくれた」
札幌記念(7着)は、良発表でも雨で滑る馬場が災い。脚元に軽い炎症も認められた。この一戦を境に、成績が低迷する。京阪杯(11着)、有馬記念(14着)、アメリカJCC(5着)、ダイヤモンドS(10着)と歩んだ後、放牧先で骨折を発症。引退が決まった。
この血統らしい豊富なスタミナだけでなく、2度のレコード勝ち(玄海特別、目黒記念)が示すように、スピードも兼ね備えていたオペラシチー。輝いた時期は短かったものの、いまでも残したインパクトは鮮明なままである。